天使の気持ち3
握ったイルカ先生の手があたたかい。
あたたかくて柔らかくて心地よくて、どうにも離す気にはなれなかった。
しかし、店を出てから数分。
このまま歩いて俺の家にイルカ先生と連れ帰りたいところだけど俺は、これから任務なので、それは諦めた。
ちら、と振り返ってイルカ先生と見ると俯きながら歩いている。
天辺で結っている髪が垂れて、まるで叱られるのを待つ子供みたいな雰囲気だ。
イルカ先生は元気がない。
俺は足を止めるとイルカ先生に呼びかけた。
「イルカ先生。」
静かに穏やかに優しく、怖がらせないように。
繋いだ手を離そうと思いつつ、離すことはできなかった。
呼びかけてもイルカ先生は顔を上げてはくれない。
俯いたイルカ先生は所在なさげに頼りなく見えた。
でも、とりあえず言うことは言ってしまわなくては、と思い俺は言った。
話があったけどこれから任務に行くから、また後で、ということを。
任務と言う言葉を聞いたイルカ先生は、はっとしたように顔を上げた。
俺を見る。
その黒い瞳には俺が映っていた。
イルカ先生の顔が見れた俺は自然と顔が綻んだ。
好きな人の顔を見れるのは嬉しい。
そして自分を見てくれているのは、もっと嬉しい。
イルカ先生は俺を心配してくれた。
「任務・・・、危険なんですか。」と尋ねてくる。
俺のことを心配してくれるなんて、ますます嬉しくなってきた。
だから俺も、つい訊いてしまった。
「俺のことを心配してくれるの」って。
イルカ先生は「とても心配です」と言い、言葉どおりの顔をしていた。
本当に心の底から、俺のことを心配してくれているのが伝わってくる。
なんか、これって。
ごくり、と俺はイルカ先生に気づかれないように唾を飲み込んだ。
恋人同士みたいだなあ、と思ったのだ。
任務に行く恋人を心配するイルカ先生。
もちろん、その恋人とは俺だ。
そりゃあ、今は違うけど。
なんとなく、なんとなく・・・。
雰囲気が、そんな感じで。
甘く切なく、胸がときめく恋人たちのひと時の別れ。
俺は顔を覆っていた覆面を下ろした。
素顔をイルカ先生に晒す。
この雰囲気なら、と思ったのだ。
もしかしてキスできるかも、と。
それが切っ掛けでイルカ先生とのことが、総て上手くいくような気がする。
・・・と思ったのだが自分を見つめるイルカ先生の瞳の余りの真剣さに、その考えは、かき消えてしまった。
なんかさ、なんか。
今、そんなことをしたら好きな子をいじめて、もっと困らせるようなことになりそうな・・・。
そりゃあ、もう公の場で言い争って気まずくなっているけれど、これ以上、イルカ先生にそんな思いをさせるのは本意ではない。
俺は自分を鎮めて握ったままだったイルカ先生の手を撫でるにとどめた。
この際だから撫で回してしまおう・・・。
優しく握ったイルカ先生の手を撫で捲くった。
あたたかいイルカ先生の手からは漲る力がもらえる。
任務も頑張れそうだ。
そう思ったところでイルカ先生の手を、ゆっくりゆっくりと離した。
昼間に言っていた話は帰ってきてから、とイルカ先生に約束を取り付けて、暗い森に身を沈めると背後からイルカ先生の声が微かに聞こえてきた。
「あのっ、代わりに支払ってくれたラーメン代、必ずお返ししますから!」
律儀な人だなあ。
俺は、くすりと笑うと覆面を元通りに戻し森の中を駆け抜けたのだった。
翌朝、早々に帰ってきた俺は報告書を出すため受付所に行く前に、ふと思い出した。
イルカ先生の財布のことだ。
落とした、とか言っていたよなあ。
そういえば、と昨日、イルカ先生が落ちそうになった階段の付近を捜索してみた。
イルカ先生を抱きかかえていた時に、きらりと光る何かが視界の隅に入ったがイルカ先生に気を取られて忘れていたのだ。
目当ての物は、すぐに見つかった。
黒っぽい財布に黄金色の小さな鈴がついている。
小さな鈴には見覚えがあった。
俺があげたものだったから。
この鈴、と俺はイルカ先生の財布についている鈴をまじまじと見つめた。
これと揃いの鈴を俺も持っている。
任務先で土産として買ってきたのだ。
鈴は縁結びの鈴で、何とかいう有名な神社で買ってきた。
なんでも意中の人に鈴を贈り、揃いで持つと想いが通じるとかで。
俺は密かに土産にかこつけて縁結びの鈴を渡して、イルカ先生に俺の想いを悟らせようと目論んだのだが・・・。
渡すときに、ちゃんと「縁結びの神社の鈴なんですよ」と言って渡した。
渡したのに!
イルカ先生は手強かった・・・。
イルカ先生は「綺麗な鈴ですねえ」と一頻り鈴を見てから、それを俺に返してきた。
そして驚くべきことに、こんなことを言ったのだ。
「それで、どなたに差し上げるんですか?」
にこにことして悪気の欠片もなく。
多分、どなた、とは、どの女性にということを指すのだと思う。
俺がイルカ先生に買ってきたとは露ほどにも思っていないのだろう。
でも俺はイルカ先生以外には縁結びの鈴なんて上げる気ないし。
縁を結びたいのはイルカ先生だけだし。
ちっとも俺の想いは伝わらない。
イルカ先生みたいな人には、はっきりと意思表示しないと駄目なのだろう、と鈴の一件は俺に悟りを開かせることとなった。
俺はいい訳のように「しゃれ・・・で買ってきてしまいました」と言うより他はなかったのだ。
するとイルカ先生は嬉しそうに受け取ってくれた。
きらきらと黄金色に光る鈴をあどけない笑顔で見つめていた。
「ありがとうございます」と無邪気に喜んでくれたのだ。
その時のイルカ先生の笑った顔は可愛くて、今でも目に焼きついている。
俺の財布も見せて揃いの鈴を見せると、イルカ先生も同じく財布に鈴をつけてくれた。
嬉しかったなあ。
イルカ先生の財布の鈴を見ていると、今日は仲直りできそうな予感がしてきた。
仲直りして、それでできたら、まあ、と俺は朝から幸せな夢を描いてしまっていたのだった。
天使の気持ち 2
天使の気持ち 4
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