Slow Starter17
「はあ〜、遅くなちゃったな〜。」
カカシは深夜の森を駆け抜ける。
上忍師として下忍の子供達を指導する他に個人的な任務も請け負っていた。
「人使い荒いよ、全く。」
口に出てしまったが、それも直ぐに消える。
「今日の受付けの夜番はイルカだったよな。」
そこら辺は、しっかりとリサーチ済みだった。
イルカに会えると思うとカカシの口元が緩む。
「待ってってね〜、イルカ。」
イルカの名を呟くと走る速度が自然に上がった。
早くイルカに会いたかった。
夜の受付け所は静かだ。
受付けの人数も最小限に抑えられており、一人が常だ。
受付け所の扉を開けようとしてカカシは、ふと、その手を止めた。
部屋の中から、二つの気配を感じる。
一つはイルカのものだったが、もう一つは知らない気配だ。
深夜ではあるが、任務の終わった忍が誰か報告に来たのかもしれない。
そう思ったカカシだったが、部屋の中の一つの気配のチャクラが膨れ上がったかと思うと、殺気だった声が聞こえて椅子か机が倒れる大きな音がした。
イルカの気配は弱弱しく薄い。
恐らく、知らない気配は上忍か特別上忍で、中忍のイルカは抵抗できない状況にあるのかもしれない。
腹の中に何かが煮え滾ってきたカカシは、怒りのままに受付け所の扉を、がらりと力任せに開けた。
「イルカ!」
叫んで部屋の中に入ると、果たしてイルカは見知らぬ忍に手首を押さえつけられて、壁に押し付けらえている。
受付け所の机が派手に引っくり返っていた。
イルカは青ざめた顔をして、じっと見知らぬ忍の顔を見つめている。
大きな黒い目は、ひどく頼りなかった。
やがて、小さな小さな声が聞こえる。
「・・・・・・ごめんなさい。」
その声が聞こえると、見知らぬ忍はイルカの手首から、ゆっくりと手を離して背を向けた。
「悪かった。こんなことをするつもりじゃなかったんだ。」
後悔の滲み出た声で言うと、その忍は目だけ動かしてカカシを見ると姿を消した。
イルカは壁に背をつけたまま、ずるずると滑り落ちて、そのまま床に座り込んだ。
目は、空の一点だけを見つめて動かない。
呆然としていようだったが、顔には何の感情も浮かんでいなかった。
カカシが傍にいるのに、一度も顔を見ようとしない。
何と話しかけてよいものやら、とカカシはイルカの様子を見て思案する。
ショックを受けているようだけど服装は乱れていないし、ひどい乱暴は受けてないみたいだ。
そのことに一応の安堵はする。
「イルカ。」
カカシは驚かさぬようにと、静かに名を呼んでみた。
肩に手を置くと、多少、肩が揺れたが逃げることはしなかった。
先日のアスマの忠告もあり、何があったのか想像に難くない。
問い質してもよいものか、とカカシは迷っているとイルカが、ぽつりと話し出した。
「さっきの人が、どうして俺の誘いは駄目なんだって、カカシの誘いは断らないのにって言われて。」
誰かに向かって話しているようではなく、イルカが自分自身の中で気持ちを整理しながら独白するように言っている。
「カカシさんの誘いを断らないのは、どうしてだか自分でもよく分からない・・・んです。カカシさんと一緒にいると安心してしまうからかもしれません。でも例えば。」
そこでイルカは大きく息を吐き出した。
「他の誰かの誘いに、一度、頷けば次も誘われるかもしれない、そして次も誘われるかもしれない。じゃあ、いつ断ればいいんだろうって考えてしまいます。」
イルカは強く唇と噛み締めて俯いた。
「その時、断ったらどうなるんだろう、って先のことを考えると、とても怖くなるんです。」
怖くなる?
意味が、よく分からずカカシは努めて穏やかに聞いた。
「何が怖いの?」
イルカの体が小さく震える。
「断ったら嫌われるかもしれないって。」
嫌われる・・・。
その言葉にカカシは絶句してしまう。
「俺に少しでも、ほんの少しだけでも親しくしてくれているのに、その人の誘いを断ったら嫌われるかもって思うと。」
そう思うと体が動かなくなるんです、と消え入るような声が辛うじて聞こえた。
「だったら、最初から嫌いだと言われたほうが、ずっといい。」
イルカは誘われるのは好意の延長上の行為だとは思わないのだろうか。
・・・・・・イルカ自身は自分が好意を寄せられる人間だとは思っていないんだ。
イルカに想いを寄せていた誰かの言った言葉がカカシの頭の中に、鮮やかに蘇ってきた。
今もイルカは、きっと自分のことを、そう思っているのだろう。
誰かが自分を好きになってくれるなんて全く思っていないのだろう。
だから、自分が誰かを好きなるなんてことも考えてもいない。
無性に遣り切れなくってきてカカシに遣る瀬無さが、どっと押し寄せてきた。
イルカは自分が独りだと思っている。
傍にいるカカシの存在にも気づいてくれていなかったのだ。
カカシのイルカへの想いにも。
少しの間、俯いていたイルカだったが顔を上げると、すくっと立ち上がった。
イルカの肩に置かれていたカカシの手は滑り落ちる。
「すみません、報告書の提出ですよね。」
何事もなかったかのようにイルカは振舞って、引っくり返った机を元に戻した。
散らばってしまった書類も拾い集める。
「お待たせしました。報告書をどうぞ。」
机の上に拾った書類を置くと振り向いて、カカシの報告書を受け取ろうとイルカは手を差し出した。
報告書を受け取ってから席に座るつもりらしい。
いつものように笑おうとしたイルカの顔が歪んだ。
笑うのに失敗したらしい。
笑えなかった顔は痛々しく、カカシの胸にもイルカの寂しさが伝わってくるような感覚に陥る。
ひらりと、カカシの手から報告書が床に舞い落ちた。
「あ・・・。」
拾おうとイルカが伸ばした手をカカシは、逆に捕まえて引き寄せる。
「カカシさん・・・。」
「イルカ。」
カカシは逃げられないように最低限の力を込めてはいたけれど、それだけだった。
無言でイルカの頭を撫でて背中を撫でて、ただ優しい気持ちだけで抱きしめた。
もっと早く自分の気持ちを伝えていれば、イルカは寂しさや孤独から開放されていたかもしれない。
苦い後悔が胸に残る。
俺はイルカが好きなだけなんだ。
「ねえ、イルカ。」
カカシは穏やかな気持ちで、ゆっくりと言った。
「変わらない気持ちもあるんだよ。」
自分の想いが総て伝わるように、と思いを込めてイルカに語りかける。
「俺はね、初めてイルカに会ってから、イルカのことが好きなって。」
カカシの腕の中のイルカの体温が少しばかりあがったような気がした。
「それから、ずっと好き。長いこと会えなかった時間もあったけど、イルカのことだけ好きなんだ。」
その言葉を聞いたイルカは目を閉じてカカシの肩に額を押し付けると、両手を縋り付くようにカカシの背に回した。
「カカシさん。」
「イルカが俺の誘いを断らない理由を俺は知っているよ。」
イルカを撫でる手を休めずにカカシは断言した。
「イルカも俺のことが好き、ってことなんだ、きっと。」
カカシの背に回った手に、ぎゅっと力が込められた。
「それしかないよ。」
晴れやな笑顔がカカシに浮かんだ。
「相思相愛だね、俺たち。」
カカシの肩に押し付けられたイルカの頭が微かに頷くのを、カカシは確かに感じた。
「おーい。イルカ、交代だ〜。」
欠伸をしながら入ってきた受付け要員と思われる忍はカカシをイルカを見て、ぎょっとしたようだった。
「あ、はたけ上忍!・・・とイルカ?」
カカシとイルカは未だ、抱き合ったままだ。
誰かの入室する気配に気づき離れようとしたイルカであったが、カカシは離さなかった。
「うん、そう。」
答えられないイルカの代わりにカカシは答えて、聞いた。
「交代なら、この子、連れて帰りたいんだけど、いい?」
この子とはイルカのことだ。
「ああ、いいっすよ。」
交代要員の忍は頷いて、欠伸をかみ殺した。
「夜は特に引継ぎもないですから。」
「俺の報告書が未処理だけど。」
「やっておきます。」
妙に落ち着き払った交代要員は、抱き合っているカカシとイルカを見ても動揺していない。
どこかで見たことある顔だな、と思ったが、どこで会ったのか思い出せなかった。
そして、次の瞬間、カカシはイルカを抱えたまま受付け所から、どろんと姿を消したのだった。
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