至難のわざ8
答えるために口を開けようとしてイルカは、激しく咳き込んだ。
つ、と口の端から何かが零れる。
血だ。
赤い血がイルカの口から、一筋、流れて出た。
「イルカ!」
カカシが近づいてこようとするのを、イルカは牽制する。
「・・・休んでいるだけですよ。」
「なに、言って・・・。」
「・・・・・・ほっといてくだ、さ・・・。」
再び、口から血が溢れ、全部の言葉、「ほっといてください」と言おうとして最後の『い』は言えなかった。
カカシの顔が歪んだ。
顔の大部分が覆面と額当てで覆われて隠れているが、唯一、出ている右目が辛そうに細められる。
何故、と瞳が雄弁に語っていた。
こんな時なのに、自分の命が危機に晒されている時なのにも関わらず、イルカはカカシの顔を見ていると、怒りにも似た衝動に突き動かされてしまった。
散々、自分を振り回しておいて、あげくに『好き』だなんて言って逃げたくせに。
今、その瞳に揺らめいているのは自分を心配してくれる優しさだけで・・・。
なら、なんで、あんなことを言ったんだ。
「嫌い、です。」
「・・・・・・え。」
カカシの動きの何もかもが止まった。
目が大きく見開く。
イルカの声は小さく、切れ切れだったがカカシの耳には届いたはずだ。
はあはあ、と苦しげに息を吐き出しながらイルカは、はっきりと言った。
「カカシさんなんて、大嫌いです。」
言葉に出した後、イルカは今、追っている自身の傷よりも、自分の心が引き千切られるように痛んだ。
自分で言ったのに。
「だから・・・。もう・・・。」
その後に続く言葉を、なんて言おうとしたのか。
もう自分に構うなとか、さっさと里に帰れとか、そんなことを言おうとしたのかもしれない。
だが、イルカの言葉を聞いたカカシの顔を見ていたら、その言葉は消えてなくなってしまった。
カカシは総ての表情を失い、顔色は蒼ざめて力なく立ち尽くしている。
そんなカカシは、今の今まで見たことがなかった。
顔の布を下ろして、口元を曝け出したカカシは力を失ったように、がっくりと片膝を地面に着いた。
憔悴している。
イルカの言葉に、ひどい衝撃と絶望を受けたかのように見える。
自分で嫌いになれって言ったのに、その様子は何だ、いったい。
カカシは俯いてしまって、表情が見えなかった。
イルカから見えるのはカカシの頭頂部だけだ。
意外に長い灰色の髪が風に吹かれて揺れている。
カカシさんの頭の天辺、初めて見た。
イルカは思わず、ふふ、と笑ってしまい、と同時に、ごほっと咳と共に、また口から血が流れ出る。
はっとしたように、カカシが顔を上げた。
「イルカ、大丈夫!」
さっと近寄ってきたカカシは、自らの持っていた布でイルカの口元の血を拭き、傷のある腹に布を当てた。
そして急いで、応急処置の止血を始める。
「いいです、手当てなんて。・・・やめて、カカシさん。」
イルカの拒否の言葉に、今度はカカシは怯むことなく手当てを続け、手を止めようとはしなかった。
手当てをしながら、カカシがひっそりと呟いた。
「ごめんね、イルカ。」
「・・・なにが・・・です?」
「嫌いになってほしいなんて言って。」
カカシは苦しそうに笑って「俺って馬鹿だったな。」と懺悔するように言った。
「実際、イルカに言われてみると、すごくすごく、ショックで立ち直れそうもないね。」
でも、とカカシは止血のための布を、きゅっと結びながら後悔の念に駆られたように言う。
「それをイルカの強要した俺は、もっと酷いやつで、言われたイルカは、俺が受けたショックよりも、もっと・・・。」
そして、許しを請うように目にイルカを見た、
「もっと、ショックだったよね。」
ごめん、とカカシが頭を下げた。
「好きな人に嫌いだって言われることが、こんなに辛いことだったなんて思わなかったよ。」
そっと、カカシの両手がイルカの両頬に当てられて、イルカの顔を包む。
「イルカに辛い思いをさせて、本当にごめんね。」
「カカシさん。」
イルカは、ようやく、震える声で言葉を発した。
「さっき、言ったこと・・・。」
「うん。」
「・・・嘘ですから。」
嫌いだなんて言ったのは嘘ですから。
「うん、分かっているよ。イルカは、自分の心を曲げて無理矢理に言ったんでしょう。」
イルカのことが好きだから分かるよ、なんてカカシは言う。
ああ、全部、カカシさんはお見通しなんだな、俺のこと。
安心して緊張が解けたイルカの体が緩む。
俺のことを分かりきっているのに、何で、嫌いになれなんて言ったんだろう。
嫌いになれるはずもない、なんてこと、何で思いつかないかな。
そこで、イルカは肝心なことを思い出した。
そうだ、嫌いになれって言った訳を訊かないと。
カカシの雰囲気から、今なら、本当のことを言ってくれそうな気がする。
「あの、カカシさん。」
カカシは、どこに携帯していたのか分からないが、コンパクトに畳んで収納していたらしい、大きい肩掛けのような布を取り出していて、傷ついたイルカの体を丁寧に包んでいた。
イルカは、指一本動かしていない、否、動かすことができないのでカカシにされるがままだ。
「どうして俺に『嫌いになってほしい』なんて言ったんですか?」
ぎくり、としてカカシの体が強張った。
「え?」
「告白した俺に、どうして自分のことを嫌いになれ、なんて?」
「ええと、それは・・・。」
珍しくカカシが動揺している。
「俺のこと好きなのに。」
「それは、まあ、そうなんだけど。」
「なんでですか?」
カカシは、やや上目遣いでイルカを伺った。
「言わなきゃ駄目?」
「駄目です。」
観念したカカシは、ある事実を告白した。
至難のわざ7
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