ナチュラル
『ナチュラル8』
「た、だいま〜」
イルカは玄関の扉を、そーっと開けた。
「今、帰りました〜」
細く空いた隙間から部屋の中に呼びかける。
部屋の中は真っ暗だった。
「・・・いないのかな、カカシさん」
隙間から体を滑り込ませて暗い玄関で靴を脱いでいると、ぱっと明かりが点いた。
「いますよ、オレは」
「あっ、カカシさん」
明かりの点いた玄関でカカシは仁王立ちしていた。
威圧的に腕を組み、こめかみがぴきぴきとしている。
顔は怖い。
やばい・・・。
イルカは身を竦ませた。
カカシさん、怒っているよ、絶対・・・。
「お帰りなさい、イルカさん」
怖い顔のままでカカシは、にこやかに笑った。
「お仕事、お疲れ様でした」
「は、はい」
脱ぎかけた靴をイルカは無意識にうちに、また履いてしまっていた。
怖い、怖いよ、カカシさん・・・。
「イルカさんの誕生日に、イルカさんは誰と過ごしたんですか?」
静かな口調だが不穏を感じさせる。
「だ、誰とって、別に・・・」
「イルカさんの誕生日前日に出張に行って、イルカさんの誕生日が終わってから帰ってくるなんてねえ」
「仕事なので・・・」
「その仕事も急に入ったものでしょう?」
「そうですけど」
「オレが、あんなに」
ずい、とカカシが身を乗り出してきた。
勢いのまま、イルカは一歩、後退してしまう。
「あんなにあんなにあんなに去年のイルカさんの誕生日が終わった瞬間から次のイルカさんの誕生日には休みを取るようにお願いしていたのに」
「ご、ごめんなさい!」
恨めしそうにするカカシにイルカは思わず謝っていた。
出張に行く前にも行っている間にも何回も謝っている。
「ごめんなさい、カカシさん。悪いと思っています、心から」
実はイルカの出張は、かなり突然に入ったもので。
休みの申請は早くからしていて本当は休めるはずだったのだが。
「オレより仕事を取ったってことですよね」
カカシは思い切り拗ねていた。
カカシがイルカの誕生日に張り切っていたのは知っていた。
色々と準備してくれていたのも知っていた。
だけども。
だって会社から言われたら断れない・・・。
休み中でも仕事に来い、と会社から電話が来れば行ってしまうイルカだ。
休みだと主張すればいいものを困っていると断れないのだ。
そういう性分だから仕方がないと言えば仕方がない。
でも・・・。
目の前の怒っているカカシを蔑ろにしていい訳ない。
そこは反省すべきである。
「すみません」
イルカは頭を下げた。
「カカシさんは俺の誕生日のために、せっかく休みを取ってくれたのに」
カカシは宣言どおり、イルカの誕生日に合わせて休みを取った。
なのにカカシを家に一人きりにさせてしまった。
仕事といえど、罪悪感で胸が痛い。
「本当にごめんなさい」
すると、あったかい手が優しくイルカの頭を撫でた。
「いいんですよ」
顔を上げるとカカシが微笑んでいた。
先ほどのような怖い顔ではない。
優しい顔だった。
「オレも言い過ぎました。イルカさんは、いつも仕事に一生懸命ですもんね」
オレもごめんね、と言いながらカカシはイルカの手を引いた。
「さ、部屋に入りましょ」
「はい」
カカシに手を取られてイルカは部屋に入る。
「お帰りなさい、イルカさん」
カカシが抱きしめてくる。
イルカを抱きしめるのはカカシの癖になっていた。
でもイヤではない。
抱きしめられるのは好きだ。
「ただいま、カカシさん」
改めてイルカは言ってカカシを抱きしめ返した。
「わ!」
部屋の中に入ってイルカは驚いた。
「どうしたんです、これ?」
部屋はキレイに飾り付けられている。
『誕生日おめでとう!イルカさん!大好き』と書かれた白い大きな布が部屋の壁に貼られていたり、食卓の真ん中には色とりどりの花があったり。
とにかく、部屋の中は『ハッピーバースデー!』一色だ。
「イルカさんが出張に行って暇だったので、せっせとひたすら作っていたんですよ」
「そうだったんですか」
カカシは、とってもイルカのことを想ってくれている。
「料理も当初、予定した物の他に時間があったので作ってみました」
美味しそうな匂いが部屋に充満していた。
「イルカさんの好きなお酒もありますよ〜」
ちょうど明日は日曜日だから、ゆっくり飲みましょうね、とまで言われて、とうとうイルカは言ってしまった。
己の罪悪感を消すために。
「カカシさん!」
「なーに」
「本当に俺、反省してます」
「もー、いいのに」
「そんな訳にはいきません」
イルカは決意していた。
「埋め合わせをさせてください」
「ほんと?」
キラ、とカカシの目が嬉しそうに輝いた。
「はい、あの・・・」
といっても埋め合わせが思いつかない。
「埋め合わせって何がいいでしょう?」
カカシに訊いてしまった。
「うん、あのね」
キラキラキラ、とカカシの目が幸せそうに輝いている。
「じゃあ、一つだけ」
「一つ?」
「そう。一つだけオレのお願い、何でもきいて」
「・・・何でも?」
「何でも」
カカシは大きく頷いた。
「何でも一つだけって?」
恐る恐る尋ねる。
とんでもないことだったら、どうしよう。
ちょっと不安になる。
「簡単ですよ〜」
カカシは満面の笑みを見せた。
「あのね」
「はい」
「会社、辞めて」
「・・・え」
「会社を辞めて家にいて、家から出ないで、誰とも話さないで会わないで、オレとだけ話してオレだけ見ていてオレだけ好きでいて」
無理な注文だった。
カカシは時折、このような無茶な欲求をしてくる。
イルカのことを好きだからこその発言なのだが、如何せん、出来ることと出来ないことがある。
無理かも・・・、と言おうとしてカカシが先に発言した。
「なーんてね、うそうそ」
やけに、あっさり引き下がった。
「イルカさんが仕事辞めるなんて無理だよねえ」
「・・・はい、ごめんなさい」
「まあまあ、気にしないで」
カカシは冷蔵庫からワインを取り出した。
「まずは一日遅れだけどイルカさんの誕生日をお祝いしないといけませんしね」
「ありがとうございます」
「着替えてきなよ」
「あ、はい」
促されて寝室に行こうとすると背後からカカシの声が聞こえてきた。
「何でも一つだけのお願いは今度にしましょうねえ」
その言葉に、どきっとしたイルカだ。
・・・今度のお願いは何だろう?
カカシのお願いは予想がつかない。
誕生日のお祝いは滞りなく終わった。
カカシの料理は美味しかったし、お酒も飲んで、いい気分だった。
プレゼントもイルカの希望を外していなかった。
何から何までイルカのことならカカシは解るらしい。
カカシのことは大好きだ。
しかし・・・、とイルカはカカシを眺めた。
カカシさん、俺を束縛してどうしようってんだろ。
俺は、どこにも行かないのに。
雁字搦めに束縛されてもカカシのことは、きっと嫌いにならない。
俺のこと、ナチュラルに束縛しようとしているのかなあ。
イルカは考えてしまったのだった。
『ナチュラル9』
「イルカさーん」
イルカが帰宅するとカカシが、にこにこしながら出迎えてくれた。
機嫌がいいらしい。
「お帰りなさい」
まずは、お帰りなさいと抱きしめてくれる。
「ただいま、カカシさん」
イルカも抱きしめ返すとカカシは嬉しそうな顔になった。
そっと体を離されて手を取られる。
これは、いつものことだ。
手を引かれてリビングに行くとテーブルの上には所狭いと旅行のパンフレットが乗っていた。
数え切れないほど、たくさんある。
中にはイルカの好きな温泉のパンフレットもあった。
「ねえねえ、イルカさん」
カカシは、うきうきとしている。
「今年の夏は、どっかに旅行に行きませんか?」
「気が早いですね」
苦笑しながらもイルカはパンフレットの一つを手に取る。
色鮮やかなパンフレットは見ているだけでも行きたくなってきて、宣伝効果抜群だ。
「いいですねえ」
パンフレットを見ているとイルカも旅行に行きたくなってきた。
カカシと旅行したことは、まだない。
「カカシさんはどこに行きたいですか?」
「イルカさんとなら、どこへでも」
「もー」
相変わらずのカカシに照れくさくなるが嬉しくもなる。
カカシはいつもいつもイルカのことだけを考えてくれるから。
・・・ナチュラルに束縛傾向にあるけれど。
そんなところも好きだったりするから、恋は盲目だ。
「イルカさん、温泉好きでしょう。だから部屋に温泉ついているところとか、離れでゆっくり過ごせるところとかいいかな〜って」
カカシは、もう目星をつけたのかペラペラとパンフレットを捲っている。
「ほら、こことかここ。誰にも邪魔されず二人きりで過ごせて、温泉つき。良さそうでしょ」
「そうですね」
二人で、ゆっくりできそうな感じだ。
「早めに予約しないとダメですからね」
「それはそうですね」
予約のことなんて頭から抜け落ちていた。
夏になって予約していたら間に合わない。
それからカカシの集めてきたパンフレットを見ていたイルカだったが、ふと思いついて言ってみた。
「海外旅行なんて、どうですか?」
いつか、カカシと一緒に海外にも行ってみたいと夢見ていたのだ。
「海外〜」
答えたカカシは眉を潜めていた。
「海外に行きたいの?イルカさん」
「え、ええ、ちょっとだけ・・・」
嫌そうにするカカシが意外だった。
喜ぶかと思っていたのに。
「あのねえ、イルカさん」
カカシが真剣な口調で言う。
「海外は危ないですよ」
「そりゃあ、そうかもしれませんけど」
「海外に行くとね、開放的な気分になるんですよ」
「まあ、そうでしょうね」
普段と違う空気を吸えば、そうなるかもしれない。
だが、それも旅の醍醐味だ。
「開放的な気分になったら・・・」
カカシは、ものすごく真剣だった。
「イルカさん、ナンパされてしまって他のやつとどっかに行くかもしれないじゃないですか!」
「・・・何の心配しているんですか、有り得ませんよ」
そんなことはあり得ない。
「イルカさんがならなくても、他の開放的な気分になったやつらが何をしてくるか分かったもんじゃないですよ」
カカシはイルカとは別の意味で危ないと言っていたのだ。
「ないですから、絶対に」
自分がカカシではない人を選ぶなんて言われるのも心外だ。
「今回は日本国内にしましょう」
温泉にゆっくり浸かりに行きましょう。
イルカが、そう言うとカカシはやっと安堵したみたいであった。
・・・カカシさん、変なところで心配性だなあ。
でも、好きだけど。
ナチュラルに束縛されるつつもイルカは幸せであった。
『ナチュラル10』
「あの〜、カカシさん」
イルカは、おそるおそる話しかけた。
「うん、なに?イルカさん」
応えるカカシはべったりイルカにくっ付いて隣に座っている。
場所は家だ。
二人とも仕事が終わって帰宅して食後の寛ぎタイムに入っていた。
イルカはテレビを見ており、カカシはそのイルカの隣で本を読んでいた。
「あのですね、明後日の金曜日なんですけど」
「金曜日?」
カカシが本から顔を上げた。
「金曜日がどうかした?」
「ええ、まあ」
ちょっとイルカの目が泳ぐ。
「ええっと、実は会社の飲み会なんです」
カカシは黙ったままだ。
「あ、定期的な飲み会なんで会社の人と少し飲んで終わりみたいな感じなんですよ」
慎重にイルカは話した。
それには理由がある。
イルカの会社でのイベント等がある度にカカシに出席を反対されるから。
なおかつ、出席したらしたでカカシがいつ、どこで、誰と飲むのか細かく聞いてくる。
極めつけは飲み会場所まで迎えに来てくれたりするのだ。
もちろん、イルカの迷惑にならぬようにしてくれているのか偶然を装って。
そんな訳でイルカは特に慎重になっていた。
しかし、カカシはあっさりと頷いた。
「いいですよ」
「えっ」
「その日はオレも飲み会で、どうしても出席しなきゃいけないんです」
「そうなんですか」
「取引先との飲み会とかなんとか・・・」
あーあ、とカカシが溜め息を吐いた。
「飲み会なんて行きたくないんです」
ひし、とイルカを抱きしめる。
「他のやつといるよりもイルカさんといたいのに〜」
ぎゅーっと抱きしめる力が強くなる。
「イルカさんが他のやつといるのも阻止できないなんて!」と嘆いていたのだった。
ナチュラル5〜7
ナチュラル11〜14
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