ナチュラル
『ナチュラル44』
「カカシさん、どうかしましたか?」
電話の向こうからイルカの声がする。
カカシを気遣う柔らかい響きを含んだ声だ。
「忙しくて疲れてますよね。体調が悪いんじゃないですか」
咳とか熱とかは大丈夫ですか?と優しい声で尋ねてきた。
「い、いえ、体調とか平気です・・・」
やっとのことで返事をする。
カカシは激しく動揺していた。
会社の後輩の家にイルカが遊びに行く?
行くのは土曜日で、場合によっては泊まりになる・・・。
動揺のあまり心臓が激しくドキドキして、それを鎮めるように心臓の辺りを服の上から手で押さえた。
・・・イルカさんが俺のいないときに他の男の家に遊びに行く。
少々ニュアンスは違うがカカシの中では、そうなってしまっている。
・・・・・・イルカさんが俺じゃない他の誰かと一夜を過ごす。
思考は、だんだんと悪い方向へと向かっていった。
イルカには全く、その気がないというのに。
カカシの考えることの一欠けらも、そんなことイルカは思ってもいないのに。
ただ単に友達の家に遊びに行くという感覚なのに。
「イ、イルカさん」
ようやく、声を出したカカシは電話口に向かって呼びかけた。
「はい」
「あ、あのですね」
遊びになんて行ってほしくない。
泊まりになんて行ってほしくない。
自分の知らないところに行ってほしくない。
まるでイルカが誰かに捕られてしまうようで嫌だった。
ものすごく嫌だった。
例え、その原因がカカシだったとしても。
原因と作っているのが自分自身だったとしても。
イルカの総てを独占していたい。
ほんの少しでも誰かになんて渡したくなかった。
「えっとですね・・・」
しかし、なんて言ってのいいやら。
乾いた唇をカカシが噛み締めたときに、ふふっとイルカが笑ったような気がした。
「カカシさん、俺・・・」
イルカの声はカカシをいつでも安心させてくれる。
いつまでも聞いていたい。
「ヤマトさんの家に行くの止めますね。家で大人しくしています」
「えっ」
「今週末、頑張ればカカシさん、帰ってこれるんでしょう?」
「ええ・・・。ええ、ええ、そうです!」
「だから、来週帰ってくるカカシさんのために家の中のことを色々やっておきますね」
掃除したり、料理の作り置きしたり、洗濯したり。
イルカの声は楽しそうであった。
「カカシさんのことを考えながら、あれこれやるのって、とっても楽しいんですよ」
朗らかに話してくれた。
「だから俺、カカシさんが帰ってくるのを家で待ってますね」
「イルカさん」
イルカの言葉に胸を打たれた。
「ありがとう、ごめんね」
自然に、そんな言葉が口から出た。
「いえいえ」
ちょっと、おどけた感じでイルカが返してくる。
「大したことないですから」
「そんなことないですよ!」
カカシは強く否定した。
ここは言っておかねばならない。
「イルカさんのお陰で俺は生きているようなものです。イルカさんがいるから仕事だって頑張れるし。イルカさんがいなかったら俺も生きていません」
「大げさですよ」
「だって本当ですもん」
カカシは口を尖らせる。
「イルカさんに早く会いたいです。そんでもって、抱きしめたいです。ぎゅーっとぎゅーっとぎゅーっと」
電話口のイルカが暫し、無言になる。
カカシには電話の向こう側でイルカが照れた顔をしているのが手に取るように分かった。
「イルカさん、早く会いたいな」
「・・・俺もです」
照れた声が聞こえた。
「頑張って仕事を終わらすから待っていてね」
「はい。でも無理はしないでくださいね」
「分かってます」
ちゅっと音が聞こえるように電話口でキスを贈る。
「イルカさんも、ちゃんと食べて寝て俺が帰るまで、いい子にしていてくださいね」
「俺、大人ですよ?」
「大人とか子供とか関係なく、俺はイルカさんのことを可愛がりたいんですよ〜」
「あははは〜」
久しぶりにイルカの笑い声が聞けた。
カカシは安堵する。
イルカが元気でないとカカシも元気になれないから。
「あ、そうだ」
イルカがからかうように言ってきた。
「紅さんによろしく」
「・・・・・・え」
心臓が止まるかと思った。
なんでイルカがその名を・・・。
「夕日紅さんてカカシさんが担当している部署の女性の主任さんなんですよね」
「そう、です、けど」
先ほどとは別の意味で動揺していた。
「な、ななななんでイルカさんが、その名前を」
イルカは、あっさりと白状した。
「ヤマトさんが教えてくださったんです」
「・・・ヤマトが」
カカシの声が自分で意識しないまま低くなる。
「俺のことを心配してお名前とどんな方かだけ教えてくれたんですよ」
「そうですか」
「そうなんです。ヤマトさんて親切ですよね」
「・・・そうですねええ」
電話なので、イルカはカカシが今、どんな顔をしているのか見えないのが幸いだった。
「良い方ですよね」
イルカがヤマトを褒めるたびにカカシの顔は怖くなっていく。
「じゃあ、イルカさん」
カカシはイルカに対しては怖い声を決して出さないので声は明るい。
「俺、頑張って仕事しますので帰るまで待っていてね。帰るときにまた電話しますから」
「はい、分かりました」
それじゃあ、とイルカの電話は切れた。
途端におっそろしい顔になったカカシは電話でイルカが盛んに褒めていた人物に電話を掛けたのだった。
「お疲れさま〜」
どん、と件の女主任の夕日紅は一升瓶二本をカカシのデスクの上に置いた。
「長期の出張が終わったお祝いよ」
「あ、どーも」
一升瓶二本が化粧箱に入れられて、熨斗が掛けられていた。
熨斗には文字が入っていた。
「なに、この恋人祝って・・・」
「恋人に寂しい思いをさせた私からお詫びよ。碌に電話も出来なかったみたいだしね」
「それは、もういいよ」
カカシは肩を竦めた。
今日で出張期間は終わりで仕事が終わったら、今日中にイルカの待つ家へと帰る予定だ。
「まあ、二人で飲んでよ。とっても美味しいお酒だから」
「うん、まあ、ありがとー」
じゃあね、と颯爽と紅は去っていった。
長い黒髪を靡かせて。
それを見送ってからカカシはデスクを片付け始めた。
「帰ろうーっと」
出張が終わり帰社するための挨拶は既に済ませてある。
「よし!」
綺麗にデスクを片付けたカカシは周りの人たちに最後の挨拶をして会社を出た、長らく出張で在籍した会社を。
手には少しの荷物が入ったカバンと一升瓶二本。
それを持ってカカシはイルカの元へと帰ったのであった。
『ナチュラル45』
「重い・・・」
一升瓶を二本、抱えたカカシは心底後悔していた。
「なんで持ってきたんだ、俺」
宅急便で送ればよかったと今更ながらに思う。
「もしかして嫌がらせじゃないだろうなあ」
そんなことも考える。
どっこいしょ、と酒の瓶を持ったカカシはもうすぐ電車がホームに着くので、そわそわとして下りる準備を始めた。
準備といっても荷物を持って、電車のドアの前に立っているだけだが。
「やっとイルカさんのいる地へ帰ってこれた」
ものすごく嬉しい。
「電車下りたら、すぐに乗り換えて」
急いで家に帰りたい。
一刻も早く、一秒でも早く。
一応、イルカには帰る電車の到着時間や到着ホームを知らせてあったが、今日は金曜日で平日。
イルカは、まだ仕事をしているはずだ。
「ああ、早く会いたいなあ」
イルカが仕事を終えて家に帰ってくるの待ち遠しい。
「ああ、どうしよう、わくわくする」
カカシの脳裏にはイルカの顔しかない。
イルカの笑った顔、怒った顔、悲しい顔。
どんなイルカも全部好きだ。
できたら、いつも笑っていてほしいけど。
ただ、どんなときも自分がイルカの傍にいるはずだから、大丈夫と慰めて抱きしめて撫でて安心させるつもりではある。
いつ、いつかなるときもカカシはイルカの見方だ。
それだけは断言できる。
「ああ、早く着かないなかあ」
電車の中に、もうすぐ到着のアナウンスが流れ電車の速度が落ちてきた。
ぐんぐん、イルカに近づいている。
とうとう、電車が駅に到着した。
プシューと音がして電車のドアが開く。
すとっとカカシは電車から下りる。
急いで乗り継ぎの電車の乗り場へと足を速めようとしたときだった。
「カカシさん!」
とっても懐かしい声が聞こえた。
「カカシさん!」
間違いなく、自分を呼ぶ声。
それは・・・。
イルカだった。
振り向くとイルカが満面の笑顔で立っていた。
「カカシさん、お帰りなさい!」
スーツ姿のイルカはカカシの駆け寄ってくる。
「カカシさん!」
とっても嬉しそうに笑っている。
「イルカさん・・・」
まさか、イルカがいるとは夢にも思わなかったカカシは、ちょっと呆然としている。
「どっ、どうして、ここに・・・」
まだ事態が把握できてないらしい。
「仕事は?」
「仕事は午後から有給を使っちゃいました。午後から、ずっと駅のホームで待っていたんです」
にこにことしてイルカは答える。
「カカシさんが帰ってくると思ったら、昨日の夜から眠れなくて朝からそわそわして」
落ち着かなくて、とイルカ眩しそうにカカシを見る。
「本当に帰って来てくれたんですね・・・」
嬉しそうにしながらも、胸が詰まるような声で言われてカカシは、はっとなった。
目の前にいるのは、紛れもなくイルカだ。
正真正銘の本物のイルカだ。
夢にまで見た、会いたかったカカシの愛しい人。
「イルカさん」
カカシは両手を広げると、駅のホームなんてお構い無しにイルカを抱きしめた。
一升瓶二本はとりあえず置いて。
「ただいま、帰りました」
ぎゅっと抱きしめて、イルカを実感する。
ああ、本物のイルカさんだ。
離れていた分だけ、愛しさが募る。
大好き、もう離さない、離れたくない。
「ごめんね、寂しい思いさせて」
「カカシさん・・・」
イルカは素直に抱きしめられている。
「帰ってきたよ、俺」
「お帰りなさい」
聞こえたイルカの声は涙を含んでいたように感じた。
「わー、すごい!」
カカシの持っていた酒のラベルを見て、イルカは歓声を上げた。
ホームで抱き合った後、正気に戻ったイルカが顔を赤らめて、さっと離れ恥かしかったのかカカシの持っていたお酒に話題を移したのだ。
カカシは貰い物だと説明する。
「イルカさんにお土産にしろって持たされたんですよ」
「そうなんですか」
そして先の発言に繋がる。
「ここのお酒って蔵元に予約しないと手に入らなくて。ほとんど出回らないので幻の銘酒って言われているんですよ」
「へえ、そうなんだ」
「予約も一年とか二年待ちだって、この前テレビで見ましたよ」
酒豪なだけに酒には煩いらしい。
酒豪の女主任の顔を思い出して、カカシは少しだけ感謝した。
「飲んでみたいなあ、と思っていたらカカシさんがお土産で持ってきてくれるなんて」
「まあ、イルカさんのことなら何でも分かりますから」
あははは〜とカカシは頭を掻く。
カカシの着替えなどが入ったカバンはイルカが持ってくれて、今のカカシは一升瓶二本だけ持っている。
カカシのカバンを大事そうに抱えたイルカの顔は笑みが絶えない。
「帰ったら夕飯食べて、そのお酒もいただいていいですか?」
イルカが聞いてくる。
「もちろん」
カカシは頷く。
「お風呂は先にします?それとも後?」
カカシが傍にいるのが嬉しくて堪らないのか、イルカは色々聞いてくる。
「夕飯の下ごしらえは昨日のうちに済んでますから、すぐに食べられますよ」
「イルカさんのご飯か〜、嬉しいなあ」
カカシは顔を綻ばす。
「早く家に着かないかなあ」
「そうですね、帰ったらお風呂沸かしますね!夕飯もすぐに用意して、それで」
「そうだねえ」
カカシも、にこにこと相槌を打つ。
「でもねえ、俺、一番最初にしたいことがあるの」
「何ですか?」
カカシを見上げてくるイルカの目は、何でもどうぞ、と言っている。
「うん、それはね」
乗り換えた電車の中でカカシはイルカの耳に囁いた。
イルカにしか聞こえない声で。
小さな小さな声で。
でも、間違いなくイルカの耳には届いたのだろう。
イルカは、かっと赤くなって俯く。
耳まで赤くなっている。
「いい?イルカさん?」
了承を求められたイルカは、こくこくと頷いた。
拒否はしない。
「そう、楽しみだなあ」
ふふふ、と笑ったカカシは幸せそうで。
隣にいるイルカは胸をどきどきさせている。
先ほどのカカシの言葉で。
・・・帰ったら。
カカシの声が耳に残っていて。
・・・一番最初にキスさせてね、と。
『ナチュラル46』
朝。
「うーん、イルカさん・・・」
カカシはベッドで隣に寝ているイルカを抱きしめた。
「あー、しあわせー」
寝ながら、にやにやしている。
「いーい抱き心地ー」
ぎゅーっとイルカを抱きしめて、二度寝に入ろうとしていた。
「カカシさん、朝ですよ」
抱きしめられたイルカは困ったような顔をしている。
「起きないんですか?」
そう言いつつもカカシに抱きしめられているのだが嬉しいのか、カカシの腕の中から出ようとはしない。
「うーん、もうちょっとー」
むにゃむにゃと呟いている。
呟きながらもカカシは半分夢の中だ。
そんなカカシを見つめるイルカの目は穏やかで優しい。
「そうだよな」
寝てしまったカカシの頬を、そっと撫でた。
疲れているのか、やつれているような気がする。
昨日、長期の出張から帰ってきたカカシは久しぶりに熟睡しているようで。
「やっと家に帰ってきたんだもんな」
寝てたいだけ寝させてやろう。
せっかくの休みなんだから。
それに。
イルカは口から出る欠伸をかみ殺した。
「俺も眠いかも・・・」
カカシにつられるように目を閉じてイルカも眠ってしまった。
次にイルカが目覚めたときは昼過ぎだった。
隣を見るとカカシは、まだ眠っている。
すやすやと安らかな寝顔だ。
その寝顔を飽きるまで眺めてからイルカはベッドから、するりと抜け出る。
台所に行くと冷蔵庫を開けて冷やしてあるお茶を飲む。
飲んでいるとドアチャイムが鳴った。
響く音なのでカカシを起こしてはならないと急いで出る。
「はい」
応対すると荷物を届けに来たというので玄関を開けて、荷物を受け取った。
大きなダンボール箱が一つ。
「誰からだろう?」
宛名を見るとイルカの名前が記してある。
差出人はカカシ。
「カカシさんから?」
不思議に思っているとカカシが眠そうな顔で、大きな欠伸をしながら寝室から出てきた。
「ああ、やっと届きましたか」
「なんですか、これ?」
イルカが聞くとカカシは今にも寝そうな顔で微笑んだ。
「お土産です」
カカシが出張に赴いた際に、あちらの土地で買った物だということだった。
「お土産」
「そうです」
頷いたカカシは「開けてみてください」とイルカに促した。
「たくさん買ってきたんですよ」
「そうですか」
わくわくしながら、イルカはダンボールのガムテープを、しぴぴぴと外して中を開けた。
「わあ、すごーい!」
中には、ぎっしりと色んな物が詰まっていた。
「なんですか、これ?」
「それは出張先の名物の干菓子です」
「これは?」
「携帯のご当地ストラップ、俺とイルカ先生でお揃いですよ」
「こっちは?」
「それはイニシャルのキーホルダーです。お揃いで自宅の鍵につけましょう」
「これはTシャツ?」
「そうです、地名が入っているでしょ」
「地名とイニシャルも入ってますね」
「ああ、それはプリントしてもらったんです」
食べ物は日持ちがする物ばかりなので問題ない。
しかし、他の物は・・・。
「全部、二個ずつあるんですねえ」
「うん、俺とイルカ先生のペアの物を買ったんですよ〜」
そういえば、家にあるものも、ほとんどお揃いの物が多い。
むしろ、お揃いばかりと言ってもいい。
「イルカさんの顔が見れないので、イルカさんの電話と食事と睡眠と仕事以外の時間はイルカさんのことを思いつつ色んな物を買っていました」
そう言われてみればお土産に関係ないものもある。
「そうだったんですか」
それで、この量になってしまったと思われる。
「カカシさん」
お土産を置くとイルカはカカシの首に腕を回した。
「お土産ありがとうございます」
ぎゅっと抱きしめる。
「とても嬉しいです」
「うん」
「でも」
首に腕を回したまま、イルカはカカシの顔を真っ直ぐに見た。
「一番嬉しいのはカカシさんが帰ってきてくれたことです」
カカシに会えたことが一番・・・。
一番嬉しい、何よりも。
「俺もだよ」
イルカの背に回されたカカシの腕はイルカを優しく抱きしめた。
満たされる。
そんな気分だ。
「今日は、どこか行きますか?」
外は晴れている。
「うーん、そうだねえ」
カカシはイルカを抱きしめたまま、離そうとしない。
「今日は、このまま家にいてイルカさんとイチャイチャしていたいです。ずっとくっ付いていたい」
二人きりで。
カカシの提案にイルカは、どきまぎしつつも同じ気持ちであったので。
「俺もです」
ちゃんと気持ちを言葉にした。
言葉にしないと伝わらないこともある。
言葉にして初めて成せることもある。
「嬉しいなあ」
そう言って、カカシは腕の中のイルカを大切に大切に抱きしめた。
ナチュラル41〜44
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