ナチュラル
『ナチュラル27』
その日、偶々、人気のない地下の倉庫にイルカは行くことになった。
仕事に必要な資料が、そこにあるからだ。
てくてくと廊下を歩きながらイルカは眉を潜めた。
「あそこって、ちょっと怖いよなあ・・・」
本当はあまり行きたくない。
「地下だし、誰もいないし、暗いし」
一人で行くのは気が進まない。
「誰かと一緒に来ればよかったかな」
といってもイルカは大人だ。
他の者も仕事がある。
「まあ、あれだ」
イルカは、ぶるっと頭を振って嫌な考えを頭から追い出した。
お化けが出るとか、幽霊が出るとか、そんな噂を聞いたりしていたから。
「さっさと終わらせればいいんだ、うん」
一人で頷く。
何となく、頭の隅ではカカシを思い出していた。
「えーっと、どこだ?」
地下の書庫というか、資料室的な場所は、とっても広かった。
広い上に誰もいない。
しーんと静まり返っているのが不気味だ。
耐え切れず、イルカは独り言を言いながら目当ての物を探す。
「どこだっけ、あれは・・・」
事前に場所は調べてきてある。
「うーんと、K列の15番目の棚のどっか・・・」
広い部屋の中を歩き回り、やっと目的の場所に達した。
「あ、これだ」
えーっとどれどれ、とイルカが棚の端からファイルを調べていく。
広い部屋で一人でいるのが嫌で早く終わらそうと没頭していたら突然、背後に気配を感じた。
「だ、誰だ?」
人だった。
振り向きざまに、相手が余りにも近い距離にいたのでぶつかってしまった。
相手は、ひょいと避けてくれたのだが、その際に相手の足に引っかかって転んでしまう。
しかもイルカは驚いていたので、受身も取れずに無様に転んでしまった。
「い、いたたた・・・」
転んだ拍子に捻ったのか、腕が痛い。
ついでに膝も強か床に打ち、そちらも痛い。
いったい、誰だと思って見上げると、よく見知った同僚であった。
『ナチュラル28』
転んでしまったイルカは脇に立っている同僚を見上げた。
同僚は、なぜかニコニコしている。
・・・・・・なんだ?
その顔に、ひどく違和感を感じだ。
不自然な笑顔だ。
楽しくて笑っているのではない、とイルカの直感が訴える。
・・・・・・・なんか変だ。
急に普段、見慣れている同僚が恐ろしくなってきた。
本能かもしれない。
ここから逃げなきゃと気持ちが、むくむくと沸いてくる。
早く、この場から離れたい。
この地下の書庫に二人だけというのは嫌だった。
「えっと、あの・・・」
転んでいる体勢からイルカは体を起こそうとしたが、ずきっと腕が痛んだ。
床についた手首に激痛が走る。
・・・捻挫したかも。
立とうとして膝を曲げると、やっぱり痛い。
顔を顰めたイルカは痛みを堪えて立ち上がろうとした時、不意に同僚の声がした。
「助けてあげようか?」
はっと同僚の顔をみると、やはりニコニコとしていたが、それは笑顔ではなかった。
「俺が助けてあげるよ」
言うなり、イルカの捻った方の手首を掴んで引っ張った。
「い、いたい!」
思わずイルカの悲鳴が上がる。
「ふーん、痛いんだ?」
なのに、更に握る手に力を込めてきた。
みしみしみし。
強い力で握られて、手首が軋む音を聞こえたような気がした。
「こっちも痛そうだね」
嬉しそうな声がして、ぶつけた膝を軽く蹴られる。
「なっ・・・」
どうして、こんなことをしてくるのか。
イルカは、さっぱり訳が分からなかった。
・・・俺、何か悪いことした?もしかして嫌われていたのか?
悲しくなってくると同時に手首も膝も、激しく痛み出してきた。
「病院に連れて行ってあげようか?」
「い、いいっ!いいよ、必要なら自分で行くから!」
「まあまあ、そう言わずに」
同僚の手が伸びてくる。
触られたくなくてイルカは身を捩る。
少しでも遠くに離れたかった。
掴んでいる手首も離してほしい。
「もう、大丈夫だから離して・・・」
しかし、同僚は一向に解放してくれる気配はない。
どうしよう・・・。
イルカが途方に暮れた時だった。
書庫の入り口付近から声がした。
「イルカ?」
ごほごほと咳き込む音も聞こえる。
その人物はイルカも、よく知る人物で。
「ハヤテ!」
イルカは大声で名を呼んだ。
『ナチュラル29』
「ハヤテ!」
イルカの声を聞きつけて、ハヤテはすぐにやって来た。
「遅いから心配になって来てみました」
ごほ、と咳を一つすると、じろりとイルカの腕を掴んでいる同僚を睨む。
その眼光は鋭い。
睨まれた同僚は、ちっと舌打ちするとイルカの腕を離し、何も言わずに出て行った。
「あ、ありがとう、ハヤテ」
緊張感から開放された所為か、イルカはその場に座り込んでしまった。
膝が痛いのもあったが、ひどくほっとしたのだ。
「来てくれて助かった・・・」
礼を言うとハヤテは首を振る。
「どうってことありませんよ」
「そう・・・」
イルカは一つ、息を吐くとハヤテが持っているものが目に入った。
「あのさ、何で竹刀なんて持っているの?」
ハヤテの手には愛用の竹刀があった。
実はハヤテは会社で剣道のサークルを主催しており、そこの主将と務めている。
なんでも高校時代はインターハイやら全国大会やらの大きな大会では優勝経験もあるほどだ。
「今は剣道の時間じゃないだろ?」
イルカの質問にハヤテは深い溜め息を吐いて、額を押さえた。
「・・・イルカ、少しは危機感持ってください」
「危機感?」
「この竹刀はゲンマさんに持って行くように言われたんです。無茶苦茶、むかついても相手の息の根は止めないように、と念を押されて」
「ふーん、ゲンマさんは?」
「ゲンマさんは急な仕事で出なければいけなかったので」
「忙しい人だな、ゲンマさん」
「あのですね、イルカ」
ハヤテは、また溜め息を吐いた。
「今はゲンマさんのことは一先ずいいんです」
「うん」
「イルカの危機感についての話ですよ」
ハヤテは顔を顰めてイルカを諭すように語り掛けた。
「もっと自分のことを知らないと、イルカの恋人が心配するじゃありませんか」
「カ、カカシさん関係ないよ」
唐突に出てきた恋人の話にイルカは対応できなかったのか、ぱっと赤くなった。
「ほほう、恋人の名はカカシさんですか」
「カカシさんのことはいいから!今は!」
照れるイルカをハヤテは面白そうに見ていた。
『ナチュラル30』
「ま、それはそれとして」
「それって何だよ?」
ハヤテは、ごほと咳をしてから言った。
「イルカをからかうのは、これくらいにしておきましょう」
「からかっていたのか!」
「イルカは気をつけなければなりません」
急に真面目な顔になったハヤテにイルカは眉を寄せる。
「気をつけるって?何を?」
「それはですねえ」
溜め息を吐いたハヤテは困ったようにイルカを見る。
・・・がイルカが「あ!」と先に声を上げた。
「なあなあ、ハヤテ」
「はい、何でしょう」
「さっきの人、何で俺にあんなことをしたのかな?」
それは今、まさにハヤテが言おうとしていたことだった。
「俺ってさ」
イルカが悲しそうな表情になる。
「何か嫌なことして嫌われたのかな?仕事で迷惑かけたとかしたかな」
本気で悩んでいる。
「あんなことするなんて、よっぽど腹に据えかねていたってことだよな。俺って、そういうとこ鈍いから・・・。悪いことしたなあ」
それを聞いたハヤテの顔は曇り、やれやれと頭を振る。
「あのですねえ、イルカ」
「うん」
「鈍いってことは否定しませんが、あの人がイルカにあんなことをしたのはイルカが思っていることと全く反対の理由で、でですよ」
「反対の理由?」
「そうです」
「反対の理由って何だろ」
本気で分かってないイルカは首を傾げて考えている。
「つまりですね」
ハヤテが、ごほんと咳払いをする。
「あの人はサド気質の人でですね」
「ふーん、茶道気質ねえ」
「好きな人というか興味のある人に対しては、ああなんですよ」
嗜虐的な嗜好ですね、とハヤテは心底から嫌悪するような口調だ。
「へええ」
茶道気質で茶道が好きな人・・・。
ハヤテも、はっきりと言ったつもりだったがイルカの中ではおかしな解釈で変な風に変換されてしまった。
「なので、あの人には極力、近づかないように。決して二人きりにはならないでください」
「あー、うん」
「本当に解っていますか?」
イルカの様子に一抹の不安を感じたハヤテが尋ねるとイルカは大きく首を縦に振った。
「解った、大丈夫」
どうみても解ってないようなイルカにハヤテは釘を刺した。
「このことはカカシさんに報告するんですよ、俺が言ったことも含めて。カカシさんなら、一発で私の言った意味が解るはずですから」
「あー、うん」
「約束ですよ」
「・・・・・・うん」
それから、イルカは会社の医務室で手当てを受けて、家に帰ってきたのだ。
家に帰ってきてカカシと会った途端に、会社であったことを言うのが何となく憚られた。
いい大人が自分で自分のことできなくてどうするんだ。
カカシとイルカは対等のはずだ。
そんな大げさにしなくてもいいよな。
勝手に判断してカカシに言わなかったのだが・・・。
目敏いカカシはイルカの足の不調にも気がついた。
「イルカさん、足の動きが変じゃない?怪我?」
「変じゃないです、怪我もしてません」
結局、カカシに足の怪我のことは、ばれてしまったのだった。
ナチュラル23〜26
ナチュラル31〜30
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