風は何処に吹く・続
カカシは、ようやく覚えた道を歩いていた。
仕事帰りなので辺りは暗い。
街灯も少なく路地裏ということもあり、ひと際、暗さが目立っている。
なにゆえ、高校教師のカカシがこんな場所にいるのか。
面倒くさがりの癖に仕事帰りに遠回りをしてまで、こんな場所にいるのは・・・。
カカシは、ある場所を目指していた。
目指す場所は迷路みたいな路地の奥の奥にある古びたビルの一室。
その一室の扉には『木の葉探偵事務所の』の文字が銘打ってあり。
カカシの好きな人がいる。
その人の名は、海野イルカという。
「はー、やっと着いたよ」
カカシは薄暗い路地裏に聳え立つ、古びたビルを見上げた。
「ここに来るまで何度、迷ったことか。迷って辿りつけなかった日もあったし。迷わなくなったのが奇跡みたいだよ、ほーんと」
まるで、来た者を拒むかのように入り組んだ道を作っている路地。
慣れた者でなければ、永遠に路地を迷路のように彷徨っていることだろう。
路地裏のラビリンスといったところか。
「ま、いーや」
ぐっと伸びをしたカカシは人けのないビルのドアを押す。
今どき、自動ではなく手動なのだ。
手で押し開けるタイプのドアだ。
「ほんと年代物だよねえ」
ぎいぃっとドアが軋んだ音を立てた。
ドアを開けてカカシは、これまた薄暗い階段を上っていく。
「えーと、何階だっけ?」
悩むことはなかった。
年代物のビルには三階までしかなく、イルカの事務所は最上階だったのだから。
「お!」
カカシはイルカの事務所に明かりが漏れているのを見て、顔を輝かせた。
「イルカさん、いるんだ!ラッキー!」
とりあえず、探偵なんてしているイルカはカカシが尋ねてきても不在なことが多かった。
そして、なぜか現代人の殆どが持っているといっても過言ではない携帯電話を持っていない。
それどころか、自宅に固定電話もないということだ。
これはイルカの性格によるものらしいが。
携帯電話がなくてもイルカは不便がないらしい。
唯一の連絡手段は事務所の電話のみだ。
「今日は会えるだ〜」
うきうきとしながらカカシは事務所のドアを開けた。
「こんばんは〜、イルカさん!俺ですよ〜、カカシです」
なのに、期待は裏切られた。
・・・イルカはいなかった。
「今晩は、カカシさん」
挨拶と同時に、げほげほっと咳が聞こえる。
「イルカは今、いませんよ」
あ、洒落ではありませんから、と冗談なのか真面目なのか分からない顔で言うのはイルカの学生時代の友人で時々、臨時でイルカの事務所の事務処理と経理を担当している男だった。
名を月光ハヤテという。
「げほげほっ」
口元を手で覆いつつ、ハヤテは説明した。
「今日はイルカは北海道まで行っています。帰りは、いつになるか不明です」
「そんなあ」
がくり、とカカシは肩を落とす。
溜め息を吐く。
「今日こそ、イルカさんと会えると思ったのに〜」
「それは残念でしたね」
淡々と言ってからハヤテは仕事の続きに戻る。
がくりと肩を落としたカカシがソファーの長椅子に、どっさりと倒れても何も言わない。
「あーあ。ったく、ついていない」
愚痴ったカカシは「ほら」とハヤテに何かを投げて寄こした。
「よかったら飲んでよ」
ホットの缶コーヒーだった。
「持ってくる間に温くなっちゃったけど」
そう言うとソファーに座り直したカカシは自分の持参した、もう一本の缶コーヒーを開けて飲み始めた。
静かだった事務所の中がカカシ一人の存在によって騒がしくなり、コーヒーの匂いによって暖かな空気が満ちる。
「いただきます」
ハヤテも缶コーヒーを開けて飲み始めた。
ごく、と一口飲んで「ありがとうございます、美味しいです」と礼を言う。
「いーえ、どう致しまして」
イルカに会いに来たのに高確率でハヤテに会っているカカシは、いつの間にかハヤテと気安い仲になっていた。
軽口が叩けるような。
「イルカさん、北海道に何しに行ったのよ」
「それは守秘義務が絡みますので話せません」
「ケチ」
カカシは口を尖らかす。
「俺はイルカさんの恋人なんだから、秘密は守るっての」
「イルカは友人だと言っていましたが」
「それはイルカさんの勘違い。俺たちは将来を誓い合った仲、間柄なの」
「カカシさんの思い込みではありませんか」
ハヤテは外見とは裏腹に意外に辛口だ。
「んもー、分かってないなー」
がじがじ、とカカシは缶コーヒーの飲み口を噛んだ。
「イルカさん、つれないんだから」
イルカに会いたかったが本人がいなければ、しょうがない。
暇になったカカシは、ちょうどよい機会だったので聞いてみることにした。
イルカのやっている探偵業について。
実は何をしているのか、どんなことをしているのか知らなかった。
「イルカさんの探偵の仕事って何をやっているのよ、浮気調査とか?」
「そういうのはイルカは好んで受けたりしません」
よっぽどの理由がない限り。
缶コーヒーが効いたのか、ハヤテがカカシの話に乗ってきた。
「イルカの得意分野は失せ物探しです」
「失せ物?」
「そうです、専門にするほどです。偶に人探しもします」
「ふーん」
そういえば、とカカシは思い出した。
この前、イルカは苦笑しながら言っていた。
『俺の仕事は探偵っていうよりも何でも屋っていうか、悩み相談室みたいな感じなんですよ』と。
そのときは意味が分からなかったが。
「じゃあ、今日も北海道に失せ物探しに」
「まあ、そうです」
ハヤテが頷く。
「へー、北海道までねえ」
ちなみに、ここは大都会だ。
そんな遠くまでイルカは何を探しに行ったのやら。
ふと、そこまで考えてカカシはハヤテを軽く睨んだ。
「守秘義務は、どこに行ったのよ?」
「恋人なら秘密は守るんですよね」
「・・・う」
ハヤテは結構、強かでもあった。
「さてと」
ハヤテは立ち上がった。
「飲んだコーヒーの缶は、こちらのゴミ箱へ。私は、もう帰ります」
「うん」
ゴミ箱に缶を入れると、からんと乾いた音がする。
事務所の中は掃除が行き届いており、古いけれど清潔だ。
そしてイルカの人柄が反映している所為なのか、部屋の中は妙に居心地がいい。
いつまでも居たくなる気分にさせられる。
「イルカの帰りが、いつになるか分からないので私が鍵を閉めます」
「はーい」
カカシは荷物を持って立ち上がった。
事務所から出なければならない。
「イルカさん、いつ、帰って来るかなあ?」
「分かりません」
ハヤテの答えは素気無い。
事務所の電気を消して、外に出た。
扉を閉めるとハヤテが鍵を、がちゃりと回し施錠する。
「イルカの予定は未定です」
「全くねえ」
カカシが同意したとき、階段から音がした。
誰かが上ってくる靴音だった。
「あ!ハヤテ!それにカカシさん!」
当のイルカであった。
「今晩は。こんな遅くまで、どうしたんですか?」
びっくりしている。
「どうしたって」
素早くイルカに近づいたのはカカシだ。
「イルカさんに会いに来たに決まっているじゃないですか」
イルカが何かを言う前に、イルカに抱きついた。
「今、帰ろうとしていたところにイルカが帰ってきたのです。早かったですね」
「うん、何とか今日中に帰ってこれた」
疲れた顔のイルカがカカシに抱きつかれたまま、ハヤテに微笑む。
「俺は少し仕事をしてから帰るよ」
「疲れているんじゃないですか」
「そうでもない」
飯もまだだし、とイルカは手に持っていた白いビニール袋を掲げた。
コンビニの弁当らしい。
「では、私はこれで」
「うん、ありがと」
イルカに抱きついたカカシ、カカシに抱きつかれたままのイルカに対しては何も言わず、ハヤテは帰って行った。
割と見慣れていた光景だったので、何も言うことがなかったのかもしれない。
「ちょっと、カカシさん!」
抱きつかれたままのイルカが言った言葉は、ちょっとずれていた。
「事務所の鍵が開けれないんですけど」
「ああ、そうですね」
正面からイルカに抱きついていたカカシは、腕をイルカの体に回したまま体勢でイルカの背に回る。
腕を決してイルカから離しはしない。
背中からイルカに抱きつく格好になった。
そんな格好のままで先ほど閉められた鍵をイルカは、また開ける。
事務所の中には、まだコーヒーの匂いが漂っていた。
「あ、コーヒー」
「俺が買ってきたのをハヤテと飲みました」
「そうですか」
カカシに抱きつかれたまま、イルカはソファーに腰を掛けた。
「・・・カカシさん、邪魔です」
「はいはい」
カカシは体を横にスライドさせてイルカの隣に座る。
ちゃっかりと腰に手を回していた。
「ここなら、いいでしょ」
「まあ、それなら」
持ってきた袋の中からイルカは買ってきたものを取り出した。
弁当は二人分ある、飲み物も。
「カカシさんも一緒にどうですか」
「え、俺のもあるの?」
「え・・・。ええ、まあ」
もじもじとして、イルカが下を向く。
「カカシさん、いっつも手土産持って来てくれますし、今日も来ているような予感がして」
「イルカさん!」
カカシは感激したようだった。
目をきらきらさせている。
「これで俺たち、本当の恋人同士になれましたね!」
「それとこれとは話が別です」
あっさりと流したイルカは「さ、食べましょう」と弁当を開けた。
「朝から何も食べれなくて、お腹ぺこぺこです」
「はーい、いただきまーす」
カカシも腹が減っていたのは事実だったので、有り難く頂戴した。
隣同士で弁当を食べながらイルカは聞く。
「あいつら、元気にやっていますか?」
あいつらとはイルカが以前、受け持っていた高校の生徒たちのことだ。
以前イルカは高校の教師をしていたが、現在は辞めている。
そのイルカが教師を辞めた高校でカカシは教師をしていた。
それもイルカが元担任をしていた生徒たちを受け持っているのだ。
「まあまあ、元気です。今日は、あいつらテストで・・・」
カカシが話してくれる元生徒のことをイルカは嬉々として聞いている。
教師を辞めてからも、生徒のことが気になって仕方ないらしい。
だからなのか、カカシが尋ねてきても、つい招き入れてカカシが話す元生徒たちの話に耳を傾けてしまう。
カカシがイルカと恋人になりたい願望があることを知っていても。
「そうなんですか、みんな元気で良かったです」
いつも、にこにことカカシの話を楽しそうに聞いている。
「ねえ、イルカさん」
カカシには訊いてみたいことがあった。
「高校の教師・・・。学校の先生を辞めて後悔している?」
「いいえ」
イルカは即答だった。
「後悔していません」
にっこりと笑顔のオマケ付きで。
「先生をしていたことも先生を辞めたことも後悔はありません」
きっぱりと言い切った。
「そうですか・・・」
カカシには、もう一つ、訊きたいことがあったのだが。
それは次の機会にすることにした。
先生を辞めた理由・・・。
知りたかったが我慢した。
代わりに。
「でも寂しいでしょ、呼ばれなくなって」
「何がです?」
「先生って呼ばれなくなって、イルカ先生って」
カカシが初めて見たイルカは元生徒たちに「イルカ先生」と呼ばれて笑っていた。
カカシが恋に落ちた笑顔だ。
生徒たちが呼んでいた呼称を真似て、カカシは呼んでみた。
「イルカ先生」
ぽっとイルカの顔が赤くなる、照れて。
でも嬉しそうに。
「じゃー、今日からイルカ先生って呼ぼうっと」
カカシは勝手に決める。
「俺の恋人はイルカ先生」
こちらも勝手に決めていたが、イルカは肩を竦めただけだった。
カカシとイルカの奇妙な関係は、まだまだ続くのであった。
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