悲しいけれど、それが現実 9
「大変でしたね」
カカシは優しい声でイルカを労ってくれる。
「どうも・・・」
疲労がピークに達しているイルカは駄目だと思っていても、素っ気無い返事しかできなかった。
気力も体力もない。
すっかり一晩で奪われていた。
ほんの少しだけ残っている力を振り絞って、歩いているだけ。
報告書を出すために受付所に向かって。
そんなイルカの横に並び、動きの鈍いイルカの歩調に合わせてカカシは一緒に歩く。
歩きながらカカシはイルカに話しかけてきた。
「昨日のイルカ先生の毒のこと調べてみたんですけど」
「はあ・・・」
カカシは自分なりに医者に聞いたり、文献を調べてみたらしい。
「その毒って里でも喰らった人間が、あの医者を含めて二人しかいなくて症例も少ないらしいですよ」
相槌を打つのも面倒だった。
それでも構わずカカシは話す。
「なので、毒の詳細も解っていないし、名前もついていない」
そんなのは今は、どうでもよかった。
「イルカ先生、退院時にサンプルたくさん取られたでしょう?」
そういえば、採血されて検査も細かにしたような気がする。
「そんな毒をイルカ先生は体に受けてしまったという訳なんです」
カカシには悪いと思うが、もはや返事をする気力もない。
呆然と、たた受け受け所に向かって歩いているだけだ。
それはそうと・・・。
イルカは目だけ動かして横にいるカカシを見る。
なんでカカシ先生、ここにいるんだ?
今日の任務はどうしたのだろう。
病院の外で偶然会うにしてもタイミングが良すぎる。
まるで、待ち伏せでもしてかのように。
「昨日、本当はイルカ先生の付き添いをしたかったんですけどね」
思考能力が低下しているイルカの耳にカカシの声が聞こえた。
「イルカ先生に断られて・・・。イルカ先生、あのとき、とても辛そうにしていたから無理強いするのも躊躇われて」
声は耳に入ってくるが、意味を考えるのが面倒くさい。
ただ、カカシの言葉を聞いていた。
「せめて、今日は病み上がりのイルカ先生の介抱をさせてもらおうかと思ったんです」
そこで受付所に着いた。
ゆらり、と幽鬼のように受付所に入ると見慣れた顔があった。
アカデミーでイルカの隣の席の同僚だ。
まだ、朝早く受付所の人はまばらだ。
そんなに忙しくはないらしい。
「イルカ!」
同僚はイルカの姿を見つけると駆け寄ってきた。
「酷い目にあったんだって!」
病院に一晩、入院したのは伝わっていたようだ。
「うん・・・」
「死ぬかと思うほど辛かっただろ?解る、解るぜ」
同僚は妙に、うんうんと頷いている。
「俺もイルカと同じ毒を喰らって中和剤を注射されたときは一晩、地獄をみたんだぜ」
とすると。
里で毒を喰らった二人というのは、医者と同僚ということになる。
世間は意外に狭いものだ。
「あれ、めちゃくちゃ苦しいよな、辛いよなあ。拷問だよな、あれは」
自分と同じ経験した人間がいるのかと思うとイルカは少し嬉しくなる。
あの辛さを知っていると思うと共感できる。
「やっと夜が明けて、毒も中和されたのはいいけど」
そこでイルカの肩を叩く。
「さいっこうにダルいだろ?倦怠感、半端ないだろ?大ダメージだろ?」
流石に、よく解っている。
「何も話したくないよなあ、うん。早く帰って寝たいだけだろ、あったかい布団が恋しいよな」
イルカの今、一番にしたいことがを代弁してくれた。
しかし。
やはり、受付所を任されるだけあった容赦ない。
「体のどこかにあるはずの最後の気力を振り絞って、報告書だけ出してけな。簡単でいいから」
慰めるようにイルカに言うと受付をするべく、戻ってしまう。
隣にいたカカシはイルカの体調を気遣いながら立っていた。
「お優しい友人ですね」
カカシが、ぼそっと呟いたのが聞こえた。
「イルカ先生と仲良さそうで大変に羨ましいです」
何が優しいものか、あんなやつ・・・。
心の中で反論するも口に出すのは億劫で。
イルカは、のろのろと受付所の片隅で報告書を、いつもの倍以上の時間を掛けて書き、やっとのことで提出した。
受付所に来たときは朝だったのに、もう昼に近い。
「やっと帰れる・・・」
出た声は掠れていて、自分でも聞き取りにくかった。
受付所から外へ出ると日差しが眩しい。
眩しすぎて、くらりと眩暈がした。
「イルカ先生!」
さっとカカシ先生の手が伸びてきて、倒れる寸前のイルカを支えてくれる。
こんなことが前にも、どこかであったなあ、とイルカはぼんやりと考えた。
そうだ、病院で気持ち悪くなって、よろめいたときもカカシ先生がいてくれて。
イルカを、しっかりと腕で抱きとめてくれた。
カカシ先生、まだ居てくれたんだっけ・・・。
面倒見がいいというか、人が好いというか。
それよりも何でいるんだろ?
「大丈夫ですか、本当に」
「あ、はい」と返事をしたつもりであったが、声は出ていなかった。
支えてくれるカカシから離れようとしたのだが、足に上手く力が入らない。
それどころか、体にも力が入らなかった。
こっから、自分の家まで帰るのか・・・。
家が果てしなく遠く感じられた。
途中で倒れて寝ちゃうかもなあ。
その可能性は極めて高い。
「・・・カ先生、イルカ先生」
カカシが何やら言っている。
「ここからなら、俺の家が近いですよ。少しでいいから俺の家で仮眠でもしたらどうでしょう。このまま、自宅に帰っても俺、心配です。もちろん、眠りの邪魔なんてしませんから」
眠るイルカ先生に何かをしようなんて、全く以って考えていませんから。
別に何もしません、イルカ先生の身の安全は保障しますから。
カカシは力説しているが。
今のイルカにとっては、カカシ先生が何かを話している、とだけしか受け取れなかった。
話の内容まで頭が回らない。
だから頷いてしまった。
「俺の家で休んでください」というカカシの提案に。
何も考えずに。
気がついたら、ふかふかの布団の中で。
あったくてイルカは目を閉じた。
誰かが頭を撫でくれて安心する。
遠くから声がした。
「ゆっくり眠ってください」
傍についていますから。
聞き覚えのある声は大好きな人の声で嬉しくなった。
夢の中だけでも好きな人といられるのかと。
だからイルカは目を閉じて、笑みを浮かべてしまう。
嬉しいなあ、幸せ・・・。
決して告白しないと自分で決めたけど。
夢の中ならいいだろう。
好きです。
言ってしまった。
ずっと好きで好きで。
好きなんです。
声にならない声で言ってしまった。
その瞬間、イルカの頭を撫でていた手が、びくりと震えて止まる。
だけども、すぐにまた頭を撫でてくれた。
ふっと耳元で息遣いがする。
「誰を・・・」
低い声が囁いてきた。
「誰を好きなの、イルカ先生」
教えて、と訊かれたけれど。
その声に応える前にイルカは眠りに落ちてしまっていた。
悲しいけれど、それが現実 8
悲しいけれど、それが現実 10
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