悲しいけれど、それが現実 2
「交代に来たぞ」
零時前、受付所にイルカは受付をしていた同僚に声を掛けた。
時間は、もちろん深夜帯だ。
「おー、有り難いぜ」
一人、受付所にいた同僚は、そそくさと書類を片付け始める。
「今夜は引き継ぎ事項は特にないよ。どっちかつうと暇してた」
「そっか」
「イルカは何してたんだ?」
「アカデミーで溜まった書類の整理とテストの採点」
「職員室で一人で?」
「うん」
すると同僚がふざけた感じで両手を突き出して垂らして、お化けの真似をする。
「深夜のアカデミーで一人なんて度胸あるなあ。出なかったか?」
「あはは〜。出ないって。出たら、仕事を手伝ってもらう」
「だな」
きっぱり言い切るイルカに同僚は同意する。
「ここんとこ、忙しいもんなあ」
こきこきと凝った肩を鳴らしている。
「新人の教師が入ってきて、その研修だ、フォローだーって」
「仕方ないさ。みんな、一度は通る道だし」
「そだな〜」
この同僚とは深夜の受付で交代のときに度々、会っていた。
アカデミーの職員室でも席が隣で、よく話す。
「あー、そーだ」
同僚が思い出したように言った。
「新人の先生で女の子いただろ、イルカみたいな」
イルカみたいな・・・。
同僚が言っているのは長い黒髪をイルカと同じく、頭で結った女性のことだろう。
「うん・・・」
「この前さー」
人がいないのをいいことに同僚は話し始める。
「合同授業で一緒になってさ、色々話したんだよね」
「へえ・・・」
「でさ」
同僚が首を傾げた。
「イルカって、はたけ上忍と仲がいいだろ」
「そんなことないけど・・・」
「それでさ、はたけ上忍とイルカのこと聞かれたぜ」
「ふーん・・・」
「事細かに。根掘り葉掘り」
「なんて言ったんだよ」
すごく気になる。
「なんてって。俺、はたけ上忍のことなんて個人的に知らないから、そのまんま言ったぜ。イルカのことは、まあ知っているから当たり障りなく」
同僚は肩を竦めた。
「はたけ上忍のことが気になっているみたいだったよ。はたけ上忍の好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか聞かれた」
次の同僚の言葉がイルカの胸に突き刺さった。
「あの子、可愛いもんなあ。可愛い子に言い寄られて、はたけ上忍も悪い気はしないんじゃないか」
「そうだな・・・」
「そうそう、若くて可愛くて。あーいう女に男は弱い」
話すだけ話して同僚は帰って行った。
「そうだよなあ」
受付所に一人になったイルカは持っていたペンのペン先ではない、上の方を無意識に噛んでいた。
がり、と噛むと歯の跡がつく。
「男は誰だって、可愛い女の人の方がいいよなあ」
普通は恋愛は男女でするものだ。
同性とする人もいるけれど、それは少数。
がり、とイルカはまたペンを噛む。
ひどく切なかった。
「ペンは食べ物じゃありませんよ」
声がしたと同時に持っていたペンが誰かに取り上げられた。
はっとして顔を上げると、そこには・・・。
そこにはカカシがいた。
「あーあ、こんなに噛んじゃって」
カカシが噛み跡のついたペンを眺めている。
「カ、カカシ先生っ」
がたっと音を立ててイルカは椅子から立ち上がった。
「駄目でしょ、噛んじゃ」
伸びてきたカカシの指先が、つんとイルカの鼻先を突付く。
「ストレス溜まっているの、イルカ先生?」
「ストレスって・・・、あの」
突然、現れたカカシにイルカは上手く対応できない。
「ストレスを溜めるのは体にも心にも、よくないですよ」
にこ、とカカシが微笑んだ。
「今度の休みにでもストレス発散しに俺と、ぱーっと遊びに出掛けましょうか」
軽口を叩いてくる。
「どこに行きます?里の近くの温泉に日帰り旅行とかいいですねえ。俺と一緒に温泉に入って、汗を掻いて疲れを取りましょうよ」
イルカ先生、温泉好きでしょ?と何故か、イルカの好みを把握している。
「そりゃあ、温泉は好きですけど・・・」
「じゃあ、行きましょ。決定ですね」
にっこり笑うカカシに逆らえる人間なんていない。
少なくともイルカは逆らえそうにない。
けれども・・・。
崖っぷちで踏みとどまったイルカはカカシに漸く言った。
「カカシ先生、ここには何で・・・」
「何って報告書を出しに来たんです」
ぺら、と一枚の紙をカカシはイルカに提出する。
「ほら。この前、任務に行く前にイルカ先生の会ったでしょ」
その時の任務です、と言うカカシを改めて見れば、忍服は汚れて誇りだらけだ。
顔は少しばかり、疲労の色が見えている。
「そ、うだったんですか・・・」
すとん、とイルカは椅子に腰を下ろす。
「任務、お疲れさまでした」
そう言って手を差し出した、報告書を受け取るために。
「お帰りなさい、カカシ先生」
「うん、ただいま。イルカ先生」
差し出したイルカの手にカカシは報告書を渡さず、自分の手を重ねる。
「イルカ先生のお陰で頑張れました」
「そんな・・・。俺、何もしてないですよ」
「任務に行く前に会えたでしょ。会えて、約束してくれたでしょ」
だから頑張れたの、とカカシは言う。
「俺がいなくて寂しかった?」
「え・・・」
どう答えればいいのか、解らない。
会えなくて寂しいとは思うけれど、それだけではないから。
こうして会っていても、寂しく感じてしまうから。
いっそ、会えないほうがいいのかと思ってしまうから。
カカシと会って声を聞くと胸が苦しくなってくる。
「俺はイルカ先生に会えなくて寂しかったな」
イルカの胸の内も知らずにカカシは重ねたイルカの手を握った。
「里に帰ってきてイルカ先生に会えて、ほっとしました」
ああ、帰ってきたなあって実感しました、と。
「報告書、お願いします・・・」
「はーい」
握っていたイルカの手を離すと、その上にカカシは報告書を乗せた。
報告書を受け取ったイルカは黙々とチェックしていく。
「不備はありません、受領致します」
「ありがとう、イルカ先生」
「どうぞ、家に帰って休んで疲れを取ってください」
「うーん」
カカシは、がしがしと頭を掻く。
「イルカ先生もお疲れだよねえ」
「俺は・・・。仕事ですので・・・」
「近頃、受付所の夜勤が多いし」
「人員の割り振りやシフトの関係で、そうなってしまうんです」
「昼間もアカデミーの仕事しているし」
「それは俺の仕事なので」
「無理しすぎじゃない?」
「そんなことないですよ・・・」
もうカカシに帰ってほしい。
この場から、いなくなってほしかった。
カカシと話していると胸が苦しくなるばかりだ。
「約束、覚えてる?」
「約束・・・」
「そ。任務から帰ってきたら、俺と飯を食いに行くって」
「覚えてますけど・・・」
「今日の夜は空いてますか?六時頃とか」
「今日の夜・・・」
今は午前零時を過ぎたところなので、今日の夜の六時頃とは十八時間後くらいになる。
「今日は、ちょっと無理です」
それは本当だった。
「受付所の仕事が朝までで、それが終わったら正午までアカデミーの仕事があるので」
ぴく、とカカシの眉が動く。
不機嫌そうな顔になった。
「なので、明日の夜なら・・・」
多分、大丈夫。
明日はアカデミーで通常業務だ。
「明日ですね。明日ならいいんですね」
「は、はい・・・」
一歩、近づいてきたカカシが屈んでイルカの顔を覗き込む。
「本当に明日なら大丈夫なんですね!明日の夜、六時ですよ!」
妙な迫力で迫ってくるカカシにイルカは、こくこくと頷く。
とても断れる雰囲気ではない。
「なら、よろしい」
ふっとカカシの顔が緩んだ。
「くれぐれも働きすぎに注意ですよ。イルカ先生は特に」
先ほどの不機嫌そうな顔はイルカの体を心配してのことらしい。
苦しかった胸が少しだけ楽になった。
「そろそろ俺は帰りますね、イルカ先生」
「はい」
「おやすみなさい、イルカ先生」
穏やかな目でイルカを見るとカカシは受付所から去って行く。
そのカカシを見送ってからイルカは受付所の机に突っ伏した。
カカシ先生・・・。
少しだけ目を閉じる。
優しい人だ・・・。
そして思った。
やっぱり好きだ・・・。
思いは伝えないと決めたけど、やっぱり好き。
はあ、と息を吐いたイルカは目を開けた。
恋って疲れる・・・。
後になってイルカが噛んだペンをカカシが持っていってしまったことに気がついた。
「お疲れ〜、イルカ」
朝まで受付所の仕事をしてからアカデミーの職員室へと行くと昨夜、会った同僚が隣の席にいた。
「お疲れ。ってか、さっき会ったばっかりだよな」
「うん、俺もそう思う」
苦笑いをしたイルカは自分の席に着く。
「あれ、これ何?」
イルカの机の上にはアカデミーの教師に回る回覧板が乗っている。
ぺらりと中を見ると、お知らせが挟まっていた。
「え、飲み会のお知らせ?懇親会?親睦を深める?」
「そう。俺も今朝、知った」
「しかも明日」
「それも今朝、知った」
「明日の夜の六時から新任の教師と上忍師の皆さんを交えて親睦を深める会を開催致します・・・」
「俺たち、アカデミーと受付所を行ったり来たりしていたから回覧板が回ってくるのが遅かったみたい」
「明日か・・・」
明日はカカシとの約束がある。
明日の六時にカカシとの約束。
だが上忍師というからには、きっとカカシも飲み会に参加するに違いない。
「でさ」
同僚が不満げにイルカに告げた。
「上からのお達しで急遽、受付所のシフトが変更になってさ」
それはイルカも聞いていない。
「俺とイルカが明日の夜は受付所の夜勤」
「この飲み会に出なくていいってこと?」
「新任の教師と上忍師の親睦を優先しろってさ」
それって酷くないか?と同僚は憤慨している。
「むかつく〜。イルカは腹立たない?」
「うん、まあ・・・」
「何で俺たちだけ犠牲にならなきゃいけないんだよ。なあ?」
「う、うん・・・」
「その分、手当てはたくさん出るらしいけど」
同僚は怒っているが、たくさんの手当てで、どうにか納得したらしい。
しかしイルカは内心、ほっとしていた。
これでカカシとは会わなくて済む。
会いたいけれど、会うと胸が苦しくなるから。
失恋していないのに失恋したような気分だった。
「イルカ」
ひそ、と隣の席の同僚が耳打ちしてきた。
「そういえば例の新任教師の女の子さ、明日の飲み会ではたけ上忍の横に座ろうと画策しているらしいぜ」
同僚は割りと噂好きで、情報も早い。
「狙っているのかな?」
面白そうに目を輝かせている。
人様の色恋沙汰に興味津々らしい。
「さあ・・・」
それ以上は話をせずにイルカは仕事に目を向けた。
集中しようと試みるが気が散るばかりだ。
カカシに会うと胸が苦しくなるとばかり思っていたのだが。
会えなくても胸が苦しく、そしてずきずきと痛み出してくる。
その痛みは一向に治まず、増していくばかりであった。
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