暫しのお別れ
カカシが会社で唸っていた。
「あー。」とか「うーん。」とか悩んでいる風である。
しかし会社にいながら仕事のことで悩んでいるという訳ではなさそうであった。
「カカシ、仕事しなさいよ。」
目敏く見つけた紅が注意する。
「それでなくても忙しいのに。」と目を吊り上げた。
「あー、はいはい。」
カカシは適当に返事をして仕事を始めたが一向に気が乗らない様子であった。
そんなカカシを見て紅はため息をつく。
「何を悩んでいるのよ。とりあえず話してみなさいよ。」
試しに言ってみるとカカシは書類を放り出して紅に言った。
「あのさ、美味しいものってない?」
「・・・・・・は?」
カカシの問いに紅は柳眉を潜める。
「ほら、この前、アスマが出張で買ってきてくれたようなものとかさ。」
「ああ・・・。」
アスマが出張で買ってきてくれたのは魚の干物は絶品であった。
「あのお土産、すっごく喜んでくれてさ。」
「・・・天使ちゃんが?」
紅の言う天使とは現在、カカシが一緒に住んでいると言う恋人のことだ。
先日、会いにカカシの家まで行ったものの結局会えず仕舞いで名前も顔も知らない。
以前、カカシが恋人のことを天使と呼んでいたことがあるので面白がって紅もそう呼んでいる。
「そう。俺の天使がね。」
カカシの顔は緩んだ。
「美味しい美味しいって喜んでくれてね、自分の箸で俺にそれを食べさせてくれたりしてねえ。」
「あっそ。」
他人の惚気話ほど、つまらないものはないので紅は素っ気無く、あしらった。
「で、結局悩みってなんなのよ?」
単刀直入に聞くとカカシは顔を顰めた。
「・・・うん、それがさ。今、ちょっとピンチというか雰囲気が殺伐とまでいかないんだけど・・・。」
「上手くいってないの?」
紅の目が、きらんと光った。
「もしかして破局?」
こういうところだけは鋭く突いてくる。
「縁起でもないこと言うなよ。」
カカシは不機嫌な顔で言った。
「俺の好きだっていう気持ちは変わらないし相手のことを大切にしているよ。世界で一番大事な人だと思っている。」
きっぱりと宣言した。
男らしい。
そんなカカシに感心した紅であったが、じゃあ、と尋ねる。
「相手の人、天使ちゃんの気持ちはどうなの?」
するとカカシは黙り込んだ。
鬱陶しい、じめっとした目で紅を見る。
「どうなのよ?」
重ねて問い質すとカカシは、やっと答えた。
「多分、俺のこと嫌いではないと思うよ。好きだと思うけど、それが俺と同じくらいの好きかどうかは解らないんだ。」
だから、とカカシは熱を込めて語った。
「美味しいものでも一緒に食べて、気持ちを繋ぎとめておきたいわけ?分かる?」
「・・・まあ、分からなくもないけれど。」
食べ物で釣るって、それってどうなの?と思ったが紅は口には出さなかった。
とりあえず、カカシに仕事をさせるために紅は提案してみた。
「カカシが美味しいもの作ればいいじゃないの。」
「えっ!俺?」
びっくりしたようにカカシが自分を指差す。
「俺、料理って自慢できるほどの料理なんて作れないんだけど・・・。」
せいぜいカレーとかシチューとかくらいだ、とカカシは自信なさそうに言っている。
「愛情込めて作れば、きっと美味しいものできるわよ。」
紅はアドバイスをする。
「そうかなあ。」
「そうよ、食材だって良いもの使って高いものを奮発して買って作ればいいのよ。後は、いつもの食卓と雰囲気を少し変えるとか。花とか飾ったりして。ワインとかシャンパンとか添えてもいいんじゃないの?」
因みに紅はカカシの恋人が女性だと想定して話をしていた。
紅のアドバイスと真剣に聞いていたカカシだったが最後の提案には首を振る。
「お酒は駄目。まだ、未成年だから。」
「ええっ。そうなの?」
カカシの言ったことに紅が驚いた。
「未成年が恋人って、なんかすごいわね。」
ちょっと羨ましそうにしている。
「未成年っていっても大学生で今年、二十歳になるんだよ。」
恋人のこととなるとカカシは嬉しそうに話した。
「へええ。」
興味深そうに紅はカカシの話を聞く。
そんなところへ、会社のどっかへ行っていたアスマが戻ってきた。
「カカシ。」と何やら紙を一枚渡す。
「ん、なに?」
紙を見ると『出張』の文字が見えた。
「出張命令書。一週間だとよ。」
「・・・・・・すっげー行きたくない。」
ものすごく嫌そうな顔をしてカカシは心の底から、そう言った。
出張に出かける前の晩、カカシは紅に言われたことを実行してみることにした。
本当は出張の前の晩ではなく、もっと早くイルカと話をしたり食事をしたかったのだが、そういう時に限ってイルカは試験期間で勉強しないといけない上、バイトのピンチヒッターだので朝早く出かけて夜遅く帰宅したりして中々、時間が取れなかったのである。
仕方がないか、とカカシは諦めたのだが漸く、顔を合わせたイルカから「明日はバイトが休みなんです。」と聞かされた日は、カカシが出張に行く前日だった。
だから、その日はカカシは早めに仕事を切り上げて家に帰った。
帰り道、花屋に寄って大輪の薔薇の花を買ってみたりもした。
花というとカカシの中では薔薇であり、イルカのイメージに合わせて白い薔薇を選ぶ。
ワインは、ちょっと無理なのでイルカが前に飲んだ時「美味しい。」と言っていたジュースを買ってみたりもする。
そして諸々の買い物を済ませてイルカの帰宅時間に見計らって料理を始めた。
イルカの出来たての温かい料理を食べてもらうためだ。
それは市販のルーを使ったカレーであったが。
「料理は愛情、料理は愛情。」
そんなことを唱えながらカカシは焦げつかないように鍋をかき回す。
テーブルの上に薔薇も飾りテーブルクロスを敷いたりしてみて、いつもと違う雰囲気を作り出した。
洒落たワイングラスも置いてみたりもする。
注ぐのはワインではなくジュースであるが。
「よしよし。」と出来栄えにカカシは満足そうに頷いた。
「恋人たちの食卓って感じで、いいんじゃないの?」とご満悦だ。
料理も上手にできたし、後はイルカさんが帰ってくれば完了〜と気分も、うきうきとしてきた。
「今日は美味しいもの食べて、ゆっくり話をしたりして。あっ、久しぶりにイルカさんを、ぎゅっーって抱きしめたいなあ。」
カカシは色々夢見ている。
「最近、忙しくてイルカさんに触れられなかったし。イルカさんが俺の中で不足しているんだよね。」
イルカさんを出張前に充電しなきゃ、と考えていたところへ玄関のドアが開く音が聞こえた。
同時にイルカの声もする。
「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい〜。」
待ってました、とばかりにカカシは、いそいそと玄関へ向かいイルカを出迎えた。
「あ、カカシさん。」
カカシの姿を見てイルカは嬉しそうな顔になる。
「今日は早かったんですね。」
靴を脱ぎ揃えながら言う。
「うん、今日は用事があるって言って早めに帰って来たんだよね。」
「用事?何かあるんですか・・・。」
首を傾げたイルカがキッチンの方へ歩いていったが、ぴたりと足を止めた。
体が硬直したように強張っている。
「イルカさん?」
不思議に思ったカカシがイルカを覗き込むと視線がキッチンのテーブルに釘付けになっていた。
キッチンのテーブルの上にはカカシが買ってきた白い薔薇が綺麗に飾られており見慣れないテーブルクロスやらグラスもセッティングされている。
それを見てイルカは動きを止めたのだ。
どうしたのだろうか、とイルカの肩に手を掛けようとした時イルカが唐突に回れ右をした。
すたすた、と玄関の方へと歩いていく。
「えっ、どうしたの?イルカさん?」
驚くカカシを余所にイルカは脱いだばかりの靴を再び履き、カカシに背を向けたまま静かな声で言った。
「すみません。」
声は低く聞き取り難い。
「今日、お客さんが来るんですね。」
イルカは玄関のドアノブに手を掛けた。
「・・・・・・俺、察しが悪くて。」
「何、言ってるの・・・。」
理解できないことを言い出したイルカにカカシは深く困惑する。
何が、どうしてこうなった・・・。
後ろから見たイルカの耳が赤くなっている。
表情は見えなかった。
「お客さんて女性ですよね。あの、俺・・・。」
玄関のドアが、がちゃりと冷たい音を立てて開く。
「今日・・・、じゃなくて今夜は帰ってきませんから。お、お邪魔はしませんから、あの・・・。」
イルカは言葉に詰まったようで。
「じゃあ!」と言うなりイルカは玄関を飛び出してしまった。
言われたことに放心していたカカシであったが。
「イルカさん!」
はっとなったカカシは慌ててイルカを追いかけたのだが玄関の外には影も形も見えずマンションの外まで行ってみたものの、イルカは見つからなかった。
その後、冷帯電話等の連絡手段が持たないイルカを探すため思いつくままバイト先のコンビニなどに電話をして所在を探したのだが、なしのつぶてだった。
「まさか、こんなことになるなんて・・・。」
カカシは、がらんとした家で、がっくりと肩を落としていた。
「嘘でしょう・・・。」
イルカと、ゆっくり話すために雰囲気作りをしてみたら、それが裏目に出たなんて。
多分、イルカは常にないテーブルの上に飾り付けを見て特に薔薇の花から女性を連想したのではないだろうか。
以前、カカシの父親からあった女性の影が垣間見えた話を払拭できなかったのも原因の一つかもしれない。
どうしよう・・・。
かつてないほど、人生で一番、カカシは落ち込んでいた。
イルカさん、どんな気持ちだったんだろう。
傷つけてしまったに違いない。
この間からイルカの気持ちを逆なでするようなことばかりしている気がする。
「あーあ。」
声に出して溜め息を吐くと更に落ち込んだ。
ふと顔を上げて窓を見ると外は真っ暗で風が強く吹いているのが分かった。
窓から外を見る。
「イルカさん、あったかいところにいるかなあ。」
風邪なんて引かなければいいけれど。
「帰ってきてよ、イルカ。」
イルカがいないと寂しい。
この家にイルカと一緒にいるのが普通になっていたから一人になると寂しくてしょうがない。
「・・・イルカ。」
ずきずき、と胸が痛む。
好きなのになあ。
想いが伝わらないのって寂しくて哀しくて切ない。
それを、しみじみと味わってカカシは目を閉じる。
瞼の裏にはイルカの笑顔が焼きついているはずなのだが今は思い出すことが出来なかった。
一晩、待ってみたもののイルカはその夜、家に帰ってくることはなかった。
心配で堪らなかったのだが出張には行かなければならない。
本当に泣く泣くカカシはイルカに手紙を書き残した。
自分は仕事で一週間の出張に行くこと、そしてイルカが勘違いしたと推測されることについては丁寧に詳細を書いて誤解である旨を強調しておいた。
そして、どこにも行かないでほしい、と言うことも忘れずに書く。
カカシが家に帰って来た時イルカに待っていてほしい、と。
好きだと書こうかとも思ったのだが、それは直接、口で伝えようと思ったので敢えて書かなかった。
「イルカさん、行ってくるね。」
誰もいない部屋に言うとカカシは玄関のドアを開ける。
振り返っても部屋には誰もいない。
でも、きっと出張から帰って来たらイルカがいるはずだ。
きっと・・・。
かつてないほど気が重かったが、
兎にも角にも仕事を投げ出すことはできずカカシは出張に出掛ける。
イルカのことが気になって出張先から何度も自宅に電話を掛けてみたものの、一度も受話器が取られることはなかった。
漸く一週間の長い出張が終わるとカカシは即効で家に帰った。
玄関の前に立つと胸が、どきどきとする。
イルカは家に帰ってきているだろうか。
いや、きっといる。
いなくてもバイトに行っているとか大学からの帰りが遅いとか、そういうのだ。
自分を勇気付けたカカシは深呼吸すると玄関のドアを開けた。
家の中は、しーんと静まり返っていて人の気配がない。
不気味なほど静かだ。
「イルカさん?」
カカシは、そっと呼びかけてみた。
反応はない。
もう一度、名を呼んだ。
「イルカ・・・。」
しかし、どこからもカカシの呼び声に応える声はない。
ぐるり、と部屋を見渡したカカシは、あることに気がついた。
部屋の中が綺麗に掃除されている。
まるで入居した時のように、どこもかしこもピカピカになっていた。
そしてイルカの荷物がない。
嫌な予感がしたカカシは、キッチンのテーブルの上にあるものを見つけた。
「手紙?」
茶封筒が二通ある。
厚いものと薄いものだ。
薄いものの中には便箋が一枚、入っていた。
開くとイルカの端正な字が目に入る。
簡潔に書かれていた。
今までありがとうございました。
この御恩は忘れません。
さようなら、と。
追記として、足りないと思いますが今まで掛かった生活費として置いておきます、という言葉と共に金額が記してあった。
「なに、これ・・・。」
慌てて、もう一通の茶封筒を見ると中には、ぎっしりと一万円札が入っていた。
数えてみると三十万は越えている。
「こんなのって・・・。」
カカシの手から、ばらばらと一万円札が舞い落ちて床に散らばった。
「どうして、イルカ・・・。」
力が抜けたカカシは床に膝を、ついてしまう。
それだけでは体を支えられなくて手も床に、ついてしまった。
イルカは自分の元へ帰ってきてくれなかった。
カカシの傍から、どこかに遠くに行ってしまった。
この家を出て姿を消してしまったのだ。
イルカがいなくなったことにショックを受けたカカシであったがイルカを探さずにはいられなかった。
しかしイルカはカカシの知っている場所には痕跡を残していなかった。
バイトをしていた店を既に辞めていたのだ。
連絡先も残していかなったということで何も分からなかった。
大学にも電話してみたが関係者以外は教えられないということで何も情報は得られなかった。
「どこに行ったのかなあ。」
あてどもなく歩きながらカカシはイルカを探す。
同じ地球上にいれば、必ず見つかると信じながら。
「イルカさん。」
ポケットの中に手を入れるとイルカに合鍵として渡していた鍵が手に触る。
イルカはカカシの家から出て行く前に家中を掃除して元々少なかった自分の荷物を運び出してしまったのだろう。
家の鍵はカカシの家の玄関の靴箱の上に置かれていた。
そこが家のいる時の鍵の置き場所になっていたから習慣的にイルカは、そこに鍵を置いていったらしい。
それを思ってカカシは、ふふっと笑いを漏らした。
「イルカさんらしいよね。」
はあ、と息を吐き出してカカシは空を見上げた。
「どこにいるのかなあ。」
この寒空の下で。
「布団、どうしているんだろ?」
イルカは布団がないはずだ。
だってカカシの家ではベッドで寝ていたから。
「ちゃんと寝ているのかな・・・。」
食事もしているのか気に掛かる。
あとは寂しがっていないか。
「俺は、すっごく寂しいよ。」
暗い空に向かってカカシは呟いた。
「イルカに会いたい。」
イルカを見つけたら今度は躊躇わず皆にイルカは自分の好きな人であり大切な人だと言ってしまおう。
世間体やなんかは関係ない、そんなのどうでもいい。
躊躇って遠慮して、お互い変な誤解や勘違いが擦れ違いを生み解消出来ないまま溝が深まってしまった。
カカシは、そう考える。
次に逢ったら、もう離さない。
全力で愛するから。
寒空の下でカカシは誓い、早くイルカに再会できる日を願いながら一人で歩き始めたのだった。
束の間の休息
幕間(第一幕)
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