春恋4
「嫌です」
イルカは難しい顔になっている。
俗にいう顰め面だ。
「え、なんで?」
てっきりキスさせてくれると思っていたカカシは拍子抜けしていた。
この雰囲気だったら流れで、普通、キスするんじゃないの?
しかしイルカは違ったらしい。
「カカシさんのことは嫌いじゃないですけど、だからと言って・・・」
つと視線を逸らす。
「・・・キ、スはできません」
「どうして?」
「だ、だって俺、初めてキスした人と結婚するって」
それがイルカの夢らしい。
どうしてだか頑なに夢を思い描いているらしい。
「なんだ〜、それなら初めてキスした相手は俺なんだから俺と結婚したらいいじゃん」
カカシが軽い調子で言うとイルカが苦虫を噛んだような表情になった。
「結婚ってカカシさんは男で俺も男じゃないですか。それに、その事実はなかったことになっています」
俺の中では、とイルカは主張した。
「でも事実は事実でしょ」
カカシは食い下がる。
「今更なかったことになんて出来るはずないよ」
「それはそうですけど」
「現実から目を逸らしちゃ駄目でしょ、直視しなきゃ」
う、とイルカが言葉に詰まる。
カカシに言い負かされてしまっていた。
この一ヶ月、カカシが話術が巧みでイルカは自分が決して敵う相手ではないと身を持って辛くも知ってしまっていた。
かといってカカシは強引かと思えばそうでもない。
引く時は早い。
「ま、いーか」
カカシは、あっさりキスを諦めて両腕を枕にして床に寝転がった。
「イルカが嫌がることはしたくないからね〜」
寝転がったままカカシはイルカを見た。
「そういえばさあ、もうすぐ中忍試験だよね?」
「あ、はい」
「今年は受かりそう?」
「多分。カカシさんのお陰で本番に強くなったと思いますから」
「それは重畳」
にこっと笑ったカカシは寝転がった勢いをつけて起き上がった。
「じゃあ今度、俺と会うときはイルカは中忍だね」
「今度?」
カカシの言い方に引っ掛かりを感じ眉を潜めた。
「今度って何ですか」
妙な胸騒ぎがする。
それには答えずカカシはイルカに自分の手を差し出した。
「ねえ、キスが駄目ならイルカの髪を一房くれない?」
まるで、どこかに行ってしまうような口ぶりだ。
今生の別れのように。
永遠に会えないかのように。
イルカはカカシの表情に胸が、どきりとする。
真剣な顔だった。
「何言っているんですか、もう会えなくなるみたいじゃないですか」
わざと軽口を言おうとするが上手いことイルカの口から出てこない。
「冗談もほどほどにしてください」
「冗談じゃないよ」
カカシは、ずいっとイルカの方へ身を乗り出してきた。
「俺、暗部の所属になったから当分、里へは戻ってこないんだ」
「暗部・・・」
イルカは言葉を失う。
暗部という組織が里にあることは知ってはいたが実感はなかった。
暗部自体は知っていても遠い存在だった。
その暗部になるという人が目の前にいる。
「そう」
カカシは頷いた。
「暗部になったらイルカと会うこともできない」
それどころか、とカカシは憂鬱そうに言った。
「里にいつ帰って来れるかも分からない、それどころか生きて帰って来れるかも分からない」
任務の都合で何年も里を離れるらしい。
暗部の任務は常に生死がかかっている。
それくらいイルカにも分かった。
「そんな感じだから、せめてイルカに関するものを身につけていたら頑張れるかなあって」
「なに馬鹿なこと言っているんですか」
思わず言ったイルカの声が震えた。
「カカシさん、強いんでしょう。アスマさんも言っていました」
だから、とイルカは咄嗟にカカシの手を取る。
強く握った。
「生きて帰ってきてください」
必ず、と。
カカシはイルカを見て目を細めて優しく微笑んだ。
そして訊いてきた。
「ありがとう、イルカは俺のこと待っててくれる?」
「はい」
イルカは真摯に答える。
「待ってますから、カカシさんのこと」
「よかった」
安心したようにカカシは息を吐いた。
「イルカが待っててくれるならイルカの髪を持っていくのはやめるよ」
その言葉に少し、ほっとする。
カカシが里に帰ってきてくれると思ったからだ。
出会って一ヶ月で間もないが既にカカシはイルカの中で大きな存在となっていた。
束の間だが寝食共にすれば情もわく。
「カカシさん」
今のイルカには何も出来ない、カカシを無事を祈り待つことくらいしか。
「さてと」
カカシは立ち上がった。
「俺、もう行かないと」
「えっ、もう?」
突然の別れである。
「うん、そう」
寂しそうな微笑をカカシは浮かべた。
「かなり前から決まっていたんだけどね、中々、言い出しにくくて」
照れくさそうに頭を掻く。
「しんみりした別れなんて嫌だったし」
「カカシさん・・・」
イルカは喉の奥からこみ上げてくるものを、ぐっと堪えた。
悲しさや辛さや苦しさが、ごっちゃになった感情だった。
目を何回も忙しく瞬かせる。
今、しっかりとカカシを見ないといけないのに自分の意思に反して視界が勝手に歪んできてしまう。
「そんな顔しないの」
微笑を浮かべたカカシは、そっとイルカの頬に手を添えた。
両手でイルカの顔を挟む。
「俺は帰ってくるからね、イルカのところに」
目を閉じて、とカカシに言われるままにイルカは目を閉じた。
ふわりと顔の前の空気が動く。
唇に何かが触れた。
柔らかくあたたかく優しさがこもった何か。
愛しくて離れたくないと伝わってくるような。
そんな感じの。
それはキスだった。
「さよなら、イルカ」
それがカカシの最後の言葉だった。
イルカが目を開けた時、既にカカシの姿はなかった。
開いた窓から春風がイルカの部屋に舞い込んでくる。
春先に出会ったカカシは春が終わる前にイルカの前から去っていってしまった。
寂しさが胸に押し寄せる。
「カカシさん、待っていますから」
イルカは一人、呟いた。
それから数年後。
カカシとイルカは再会した。
カカシは下忍の指導者の上忍師として。
イルカはアカデミーの先生として。
二人が再会したのは初めて会った時と同じく春であった。
終わり
春恋3
春雷
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