どこへいずこへ4
玄関の扉越しにイルカ先生の気配がした。
こんこん、と音がする。
もう一度、イルカ先生が扉を叩いたのだ。
「カカシさん、俺ですイルカです」
イルカ先生の声だ。
「あの・・・」
扉越しにイルカ先生は話し出した。
「昼間のことで話をしにきました。もっと早く来たかったんですけど仕事が長引いてしまって」
仕事って、もう夜中に近い。
こんなに遅くまで仕事をしていたのか。
「昼間に言ったことは」
イルカ先生の声が途切れた。
「カカシさんが昼間に言ったことは本当ですか」
答えを望むような望まないような、そんな問いかけ。
「別れるって・・・」
そうだ。
昼間、俺は怒りに任せてぶちまけてしまった、感情を。
感情をコントロール出来る忍のはずなのに。
あんなこと言うつもりじゃなかったのに。
イルカ先生のことは今も、この瞬間も大好きで。
今すぐにでも扉を開けて出て行ってイルカ先生を抱きしめたい。
この腕に抱きしめて離したくないほどに。
でも、そんなこと出来なかった。
俺の気持ちに、どうしても納得できない枷があり、それが体の動きを止めていた。
イルカ先生の顔を見たいのに見たくなかった。
俺の気持ちを余所にイルカ先生は言葉を続ける。
「俺のこと・・・」
だんっと玄関の扉が大きな音を立てた。
イルカ先生が叩いたらしい。
「俺のこと嫌いになった・・・んですか、カカシさん」
その声は扉を叩いたのとは裏腹に、ひどく頼りなかった。
イルカ先生のことは嫌いじゃない。
むしろ好きだ。
好きなんだ、今も昔もこれからも。
なのに昼間、見た光景が、その気持ちの邪魔をする。
目に焼きついて消えやしない。
あれは何だったのかと一言聞けばいいのに、俺はその勇気がなかった。
だって女性とのことを肯定されたら身も蓋もない。
俺は頭に血が上っていて、おまけに酒を飲んでいて冷静な判断が出来なかった。
少し考えればイルカ先生が何で俺の家に来たのか分かったはずなのに。
玄関の扉に近づいて俺は言った。
頭に血が上っていたのに声は妙に落ち着いていて、冷たい声が出た。
「そうですよ」
俺は中てつけるように吐き出す。
「イルカ先生のことなんて嫌いです」
違う、そうじゃない。
「もう顔も見たくありません」
違う、とっても会いたい。
「声も聞きたくないし話もしたくないです」
馬鹿、そうじゃないだろ俺!
思っていることと違うことが、つらつらと口から出てしまう。
止まらない。
最悪な言葉が出た。
「イルカ先生なんて大嫌いです」
しん、と夜の帳が下りた。
辺りは静けさと暗闇が支配している。
イルカ先生は何も言わない。
俺も何も言えなかった。
雨の音だけが、ざあざあと響いている。
俺は自分が言った言葉が信じられなかった。
イルカ先生が嫌いだなんて、どの口が言ったんだ・・・。
さーっと顔から血の気が引くのが分かった。
口から出た言葉は取り返しがつかない。
二度と戻らない。
俺の言葉を聞いたイルカ先生は何て思ったことだろう。
玄関の扉の向こうにいるイルカ先生は、どんな顔をしているんだろう。
考えるだに恐ろしい。
心臓が嫌な音を立てて俺の体に勢いよく血を巡らす。
ばくばくと鳴り続ける心臓の音が俺の中で木霊する。
すっと玄関の扉から気配が離れた。
扉越しにイルカ先生の小さな声が聞こえた。
その声は苦しそうだ。
「分かりました」
だけども小さな声は震えることなく、はっきりとしている。
「さようなら、カ・・・」
最後に俺の名前を呼ぼうとしたのか。
しかし、中途半端に言葉は終わってしまった。
ゆっくりとイルカ先生の気配が遠ざかっていく。
頭の中が真っ白になって息が出来なくなるような錯覚に襲われた。
このままじゃいけない。
扉を開けてイルカ先生を追いかけて。
全部、違うと言わないと。
終わりになってしまう、イルカ先生との関係が。
強張っていた体を動かして、急いで玄関の扉を開けた。
降っていた雨は激しくなっている。
もはや、ざあざあでなく、ごうごうと大きな雨粒を天から落としていた。
そんな雨のけぶる中、遠くにイルカ先生の姿が、ぽつりと見えた。
イルカ先生は傘も差さずに濡れるまま、ずぶ濡れで歩いている。
仕事が終わって夜遅く、とにかく急いで俺の家に来たのだろう。
昼間にあんなことを言われて、ほんとはすぐにでも俺のところに来たかったに違いないのに。
胸の中が罪悪感で、いっぱいになる。
イルカ先生を傷つけた。
その衝撃の事実に俺は動けず。
やがてイルカ先生の姿は雨の中に消えて行ってしまったのだった。
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