どこへいずこへ3
イルカ先生の声は聞こえなかったが口は「分かったよ」の形をしていた。
女性は口元を押さえて笑っている、恥ずかしそうに。
そしてイルカ先生を見て「すきなの」と言っていた。
『すきなの』は『好きなの』に違いない。
この状況で他の言葉は、とうてい有り得ない。
イルカ先生は女性から貰った手紙を大事に懐に入れていた。
せめて断ってくれたら良かったのに。
そうしたら俺だって見なかったことに出来たのに。
女性は最後に「あいがとう」と嬉しそうに言うと去って行ってしまった。
これは、どう見ても誰が見ても。
女性に交際を申し込まれたイルカ先生が了承したようにしか見えないよな。
第三者の客観的な冷静な目で見ても、そうとしか思えないはずだ。
女性を見送ったイルカ先生が俺の視線を感じたのか、ふっと俺の方を見た。
俺の姿を認めた途端、ぱあっと明るい表情になる。
「カカシさん!」
俺の名を呼び、すぐに俺の傍に来た。
「いつ帰ってきたんですか?」
声が弾んでいる。
俺との再会が嬉しいのだろうか、イルカ先生は。
俺の目の前で他の人間からラブレターなんて受け取っておきながら。
「カカシさん、怪我はしていませんか」
イルカ先生の優しい声がする。
俺のことを気遣ってくれていた。
でも、俺は・・・。
イルカ先生の声が聞こえているのに聞こえていなかった。
つまり、それほどショックだったのだ。
好きな人が、恋人と思っていた人が他の人間からラブレターを貰っているところを目撃して。
動揺していた。
イルカ先生になんて言えばいいのか分からない。
こんなことは初めてだった。
人生でこんなにも心揺れ動いたのも初めてだ。
今まで、どんな場面にも沈着冷静でいられた俺だったのに。
イルカ先生に限っては明らかに違ったらしい。
「カカシさん、どうかしましたか」
何も言わない俺を訝しく思った俺をイルカ先生が心配げに見てくる。
「もしかして、やっぱり怪我でも?」
眉を潜めたイルカ先生が俺の手に触れてきた。
ぱっと。
反射的に俺はイルカ先生の手を払ってしまった。
「あ・・・」
そんなつもりじゃなかったのに。
「カカシさん」
困惑するイルカ先生の声がする。
「あの、俺・・・」と声を掛けてきたが何を言ったらいいのか迷っているのか言葉が続いてこないみたいだった。
瞬きを何回もしているか先生は俺を見ている。
その黒い瞳が、どうしたらいいのだろう、と言っていた。
俺だって、どうしたらいいのか分からない。
ただ冷静に落ち着いて考えようとすればするほど、先ほどの光景が瞼に鮮明に浮かんでくる。
女性からラブレターを受け取るイルカ先生。
嬉しそうにしていた。
かっと目の前が真っ赤になる俺。
ああ、分かった。
これが嫉妬か。
俺は強烈に妬いていたのだ。
この胸に渦巻く、どす黒い感情が嫉妬というものなのか。
俺は、くるりとイルカ先生に背を向けた。
これ以上、イルカ先生を見ていると自分を抑えられず何を言うか分かったものではない。
歩き出そうとしたところでイルカ先生の止められた。
「待ってください、カカシさん」
その縋るようなイルカ先生の声に足が止まってしまう。
「どうしたんですか。俺、何かしたんでしょうか」
何かって・・・。
ラブレターを受け取っていたじゃないか、とは言えなかった。
だって俺はイルカ先生が好きだから。
でも、今は可愛さ余って憎さ百倍状態。
感情の整理が自分でも出来なかったから、つい感情の赴くままに言ってしまった。
「もうイルカ先生とは別れます!」
イルカ先生が凍りつくのが分かった。
息を飲んで動きが止まっている。
その隙に俺は逃げ出した、イルカ先生の前から。
何も言わずに。
イルカ先生が何を言うか怖かったのもある。
それよりもイルカ先生にラブレターを貰ったことを問い質せばよかったのに。
出来なかった。
イルカ先生の前から逃げ出した俺は一目散に家に逃げ帰った。
怒りの感情が湧いて出てくる。
イルカ先生は何も分かっていない、とか。
イルカ先生は俺のことが好きじゃない、とか。
イルカ先生なんて、とか。
色々な感情が、ぐるぐると果てしなく渦巻く。
はあっと溜め息を吐いた俺は酒を呷った。
自棄酒だ、自暴自棄の。
酒で怒りを増幅してみたものの、駄目なことは明白で。
イルカ先生が好きなことに変わりはない。
俺はルルル〜と涙した、心の中で。
外では俺の心を具現するかのように、しとしとと雨が降り始めていた。
そんな中、俺の家の扉が深夜遅く控えめに叩かれる。
「カカシさん・・・」
イルカ先生だった。
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