憧れの人6
「記憶を失くしたといっても自分が木の葉の忍者ってことは覚えているのよね、カカシ先生。」
桃色の髪の子供が補足説明してくれた。
「何もかもって訳じゃないのよ、イルカ先生。だから私たち、一応、お見舞いに来たんです。」
横から黒髪の子供も口を出す。
「敵に短時間だけ記憶を失うっていうダサい術を掛けられたんだ。夜には通常通り、記憶が戻るだろうって医者は言っていた。」
「そうなんです。だから急いで解術して体に負担を掛けるより、自然に術が解けるのを待った方がいいっていうのが、お医者様の見解でした。」
「・・・そうなのか。」
カカシが記憶を失っているのは一時的なものであることは分かった。
しかし一時的にせよ、記憶を失くすと、こうも人間が変わるものなのか・・・。
胸を締め付けられような苦しさがイルカに押し寄せてくる。
それは、今までに経験したことのない気持ちであった。
カカシは先ほどから冷めた目でイルカを見ている。
その眼差しに居た堪れなくなり、イルカは顔を逸らした。
子供たちの頭を順繰りに撫でて、最後にイルカの腰に引っ付いていた金髪の子供の手を優しく剥がす。
「先生、もう行くからな。」
「え〜。」と子供たちから不満の声が出る。
引き攣りそうになる顔に無理矢理、笑顔を浮かべてイルカはカカシに頭を下げた。
「お大事に。」
それだけ言って、カカシの冷めた目に押されるようにして病院と後にしたのだった。
病院を出て歩きながらイルカは先ほどのカカシの目を思い出していた。
あの目には俺は映っていなかった・・・。
握っていた手に、ぎゅっと力が入る
心の中にあった何かが、がらがらと崩れ落ちていった。
カカシを一緒にいたときに感じた満ち足りた気持ちや、カカシがくれた胸の中のあったかいものが、だ。
胸が無性に痛かった。
痛くて痛くて、しょうがない。
過去に、付き合った相手に振られてしまった痛みに似ている。
これは失恋なのかもしれない。
イルカは思った。
病院で押し寄せてきた胸の苦しさの正体にも気がついた。
あれは、そうだ。
好きな人に冷たくされて辛かったんだ。
ただ憧れていた存在だった人が、いつの間にか好きな人に変わっていたんだな・・・。
だから冷めた目で見られて忘れたと言われて、きりきりと胸が痛んだのだ。
カカシさんが好きだから、こんなにも気持ちが乱れるのか。
立ち止まってイルカは大きく息を吐き出した。
空を見上げると青い空に、のんびりと白い雲が浮かんでいる。
それを見て、何だか泣きたくなってきたイルカであったが涙は出なかった。
本当に哀しい時って涙は出ないんだなあ。
ぼんやりとイルカは思い、カカシのことを考えた。
憧れだけの人だったのなら、こんな気持ちにはならなかったのに。
好きにならなければ、忘れられて哀しいなんて思わなかったのに。
人生、上手くいかないなあ、とイルカは心の中で呟いたのだった。
その日の夜。
カカシはイルカの家を訪ねて来た。
術が解けて記憶が戻ったらしい。
コンコン、と控えめに玄関の扉がノックされる。
しかし反応はない。
家の中にイルカの気配はあるのに、一所に止まって動かない。
少し強めに扉をノックしてみる。
声も掛けた。
「イルカ先生?」
しかし一向に応えはない。
「イルカ先生!」
コンコンというノックの響きが、次第にドンドンという響きに変わっていった。
「俺です、カカシです。ねえ、いるんでしょう?」
扉の向こうからは何も返ってこない。
「イルカ先生!返事をしてください!」
反応のないことに苛立ったカカシの出した大声に中の気配は、遂に動いた。
玄関の扉の前でイルカの気配は止まる。
中から細い声がして、辛うじて聞こえた。
「・・・帰ってもらえますか。」
「どうして!」
やっと聞こえたイルカの声だが、その内容に愕然とする。
「昼間のことなら謝りますから。俺の言い分も聞いてください。」
昼間のこととは記憶を失くしたカカシの言動のことだろう。
しばらく沈黙した後にイルカは言った。
「・・・会いたくないんです。」
「じゃあ、いつ会ってくれるの?明日?明後日?」
昼間のことでイルカの気持ちが混乱しているのなら落ち着くまで少し待とう、とカカシは思ったのだがイルカは違ったらしい。
「もう、会いたくないんです。」
ごめんなさい、と言われた。
まるで別れの言葉のようだった。
「ちょっと、イルカ先生。」
カカシは声を荒げる。
「顔も見せないで一方的に、そんなこと言われて俺が納得するとでも思ってるの!」
記憶を失ったのは不可抗力で俺の意思ではないんです、とカカシは言い募った。
「そんなこと言ったって!」
玄関先にいると思われるイルカもカカシに煽られたのか大声で言い返してきた。
「・・・だって辛かったんです、カカシさんが記憶を失くして俺を忘れたのが。」
大声で言い返してきたものの、イルカの声は徐々に小さくなっていき微かに震えているのが分かった。
「好きな人に忘れられるのが、こんなに哀しくて辛いものだったなんて知らなかった・・・。ずっと憧れたままでいれば、よかったんです。」
「イルカ先生・・・。」
だから、と声を搾り出そうとしているのかイルカの声が掠れていく。
「だから、もういいんです。」
何がいいのか、何もよくないじゃないか。
この扉の向こうのイルカが、どんな顔をしているのか、どんな気持ちなのかを考えると、ここから去ることはできない。
傍にいたい、会いたい。
それだけだ。
大きく息を吸い込んだカカシは、ぶわっとチャクラを膨らませた。
「この邪魔な玄関の扉、今、ぶっ壊しますから。」
物騒なことを言い放ち、物騒な笑みを浮かべる。
「すぐに、そっちに行きますからねええ。」
イルカ先生、と扉に足蹴りを喰らわせようとした、その時イルカの声がした。
「扉、壊したら嫌いになります!」
玄関の扉に蹴りをしようとしていたカカシの足が空中で、ぴたりと止まり降ろされる。
「イルカ先生。」
カカシは玄関の扉に手をつき、静かにイルカに語りかけた。
「忘れられた方も辛いと思いますが・・・。」
こつん、と玄関の扉に額をぶつける。
「忘れる方も辛いんです。」
ちゃんと話すから玄関開けて、イルカ先生、と訴える。
カカシの訴えに何かを感じたのが中から、がちゃりと玄関の鍵を回す音がした。
イルカの家の玄関の扉が開き、カカシは漸くイルカの家に入ることができたのだった。
因みにイルカの家の玄関先で起こった、ちょっとした騒ぎは近隣近所まで、ばっちり聞こえ内容は筒抜けであった。
憧れの人5
憧れの人7
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