好きじゃなくてもいい、嫌わないで 1
カカシが、その人物を見かけたのは偶然だった。
夕暮れ時、空が茜色から菫色に染まる頃合。
その人は公園のベンチに一人腰掛け、遠くの空を見つめていた。
太陽が沈み、赤い空が消えていく様を、ただ、じっと見ていたのだ。
夕暮れを反射して、赤みを帯びていた黒い瞳が徐々に夜の色になっていく。
黒い髪も夜に溶け込んでいく。
顔には何も表情がなく、そんな顔は初めて見た。
いつも明るく笑っている彼なのに。
その人物の名をカカシは呟いた。
「イルカ先生」
名字はうみの、名はイルカ。
忍者アカデミーの教員をしており、大変に教育熱心で子供思いの人。
受付の仕事も兼務しており、時には火影の補佐も担ったりもしている。
イルカとは上忍師が縁で知り合った。
現在のカカシは木の葉の里で上忍師として下忍の子供たちの指導に当たっている。
その子供たちはイルカがアカデミーで教えていた元生徒であった。
アカデミーでの元担任のイルカと現在の指導者である上忍師のカカシ。
そうなれば、必然的に引継ぎなどで顔を合わすことになる。
カカシのイルカの第一印象は真面目、普通であった。
そんな、ごく有り触れた出会いをした。
余り話したことはない。
しかし、イルカとは何となくだが、親しくなりたいとカカシは思っていた。
自分にはないものを持っているイルカに興味が沸いたのかもしれない。
一人、ベンチに座り夕暮れを眺めているイルカにカカシは話しかけてみることにした。
「こんにちは、イルカ先生」
とりあえずは挨拶だ。
「こんなところで、どうしたんですか?」
カカシが声を掛けると、はっとしたようにイルカがカカシを見上げてきた。
現実に引き戻されたように。
「あ・・・。カカシ先生、いえ、はたけ上忍・・・」
こんばんは、と小さな声が続く。
カカシ先生と呼んでしまったことに対して、イルカが罰の悪そうな顔をする。
「すみません、つい・・・。子供たちの呼び方移ってしまったみたいで」
大変に恐縮している。
顔が赤い。
それも、そうだろう。
相手は上忍、しかも知り合い程度の仲なのだから。
「カカシ先生でいいですよ」
微笑んで、カカシはイルカの隣に腰を下ろした。
「はたけ上忍なんて、堅苦しい」
俺もイルカ先生と呼んでもいいですか、と尋ねてみるとイルカは少しばかり戸惑ってから頷いた。
「どうぞ、お好きなように呼んでください」
「んじゃ、イルカ先生で」
「はい」
そして、最初の質問に戻る。
「こんなところで何をしているんですか?イルカ先生」
ぼんやり夕日を見ていましたね、と指摘するとイルカは首を傾げた。
「いつから見ていたんですか?」
「いつからって、さっきからですかね」
とぼけたように言うとイルカは、やっと笑顔を見せた。
いつものような明るく元気いっぱいの笑顔ではなく、はにかむような恥じらうような笑みだった。
その笑みに惹きつけられる。
「面白い人ですね、カカシ先生って」
印象と違います、なんて言われてしまった。
イルカは、どんな印象をカカシに持っていたのだろう?
気に掛かる。
しかし、それを追求する前にイルカはカカシの質問に返答してきた。
「帰りたくないなあ、って思って。ここで夕日を見ていたんです」
「帰りたくない?」
「そうです」
浮かべた笑みが寂びそうな雰囲気を帯びる。
「帰っても一人ですし・・・。そういう時は、ここで少し時間を潰してから帰るんです」
「へえ」
意外な答えだった。
「イルカ先生、彼女いないの?」
不躾に聞いてしまったがイルカは怒らなかった。
「いませんよ」
首を横に振る。
「そうなんですか。俺は、てっきりいるものだとばかり」
イルカくらいの年なら彼女くらいいても、おかしくはない。
多分、自分とイルカは同年代くらいだろう、とカカシは見当をつけている。
イルカは微かに微笑んだきり、何も言わなかった。
その代わり、あなたは?と視線をカカシに向けてくる。
「あー、俺は」
カカシは頭を掻いた。
「任務が忙しくて、それどころじゃなくて」
これは本当だ。
任務が第一で、恋だの愛だのに費やす時間がなかった。
おかげで大人向けの恋愛小説に嵌ってしまって、今では愛読書になっている。
「そうですか」
イルカが、ほっとしたように言った。
「俺たち、同じですね」
「そうですね」
カカシが素直に同意すると、二人の間に妙な連帯感が生まれたのだった。
それから度々、一人でいるイルカを公園で目撃したカカシは躊躇なく、イルカの隣に腰掛けて話すようになった。
イルカもカカシと話すことを厭わない。
寧ろ、歓迎している風でもあった。
話すことで二人の仲は、だんだんと深まっていく。
ある日、ふとカカシは聞いてみた。
「帰りたくない時に雨が降っていたら、どうするんですか?」
「ああ、そういう時は」
さすがに雨に濡れるのは嫌なので、とイルカは苦笑いする。
「雨の日は残業をしてから帰ることになりますね」
少し仕事をして諦めて帰ります、とイルカは言う。
「じゃあ」
カカシは提案した。
「雨の日は俺と一緒に帰りましょうか?」
思わず、そんなことを言ってしまった。
「カカシ先生と?」
イルカが不思議そうな顔をする。
なぜ?と顔に書いてあった。
「だって」
カカシは肩を竦める。
「イルカ先生、一人が嫌なんでしょ。だったら、俺といたらいいじゃない」
そうすれば寂しくないでしょ、と。
「そう言われても」
困ったように眉根を寄せるイルカは諾と言わない。
「カカシ先生と俺じゃ・・・」
何かを躊躇っている。
迷っている。
「いいじゃない、それで」
イルカの迷いを断ち切るように多少、強引にカカシは決めた。
「雨の日は一緒に帰りましょう」
決まり、と話を締め切った。
そして、次の日は実に都合のいいことに雨だった。
「イルカ先生」
その日は雨が夜まで続き、一人でアカデミーの職員室で仕事をしていたイルカの元へカカシが訪れた。
「帰りましょ」
手には傘を持っている。
「・・・本当に来たんですか?」
びっくりしたようなイルカの声だ。
「そうですよ〜」
しらっとカカシは答える。
「俺は約束を守る男ですから」
「何を言っているんですか」
「イルカ先生も俺を待っていたんでしょう?」
「・・・もう、カカシ先生は」
イルカは怒った振りをしながらも怒ってはいない。
単なる照れ隠しだ。
カカシとイルカは二人だけなら、時々、軽口を言い合う仲までになっていた。
上忍、中忍で階級は違えど、相性はいいのかもしれない。
気さくに話をしている。
「じゃ、帰りましょうか」
「はい。・・・あ、俺、今日、傘忘れたんだっけ」
「傘ならありますよ」
カカシに手にした傘を持ち上げた。
「相々傘しましょうよ」
「・・・・・・ご遠慮します」
「まあまあ、そう照れないで」
「照れてません!」
突っ込みに合いの手を入れながら話すカカシとイルカは、本当に仲が良さそうに見える。
玄関に着くとカカシが、ぽんと傘を開いた。
「どうぞ、イルカ先生」
傘を差し出す。
「すみません、入れてもらいます」
大きな傘ではないので肩を寄せ合いながら、雨の中、歩き出した。
「よく降りますねえ」
「はい、明日は止むといいですね」
「えー、俺は明日も降っていてほしいです」
「何でですか?」
何気に言ったイルカの言葉にカカシは、さらりと返した。
「雨だったらイルカ先生と一緒に帰れるじゃないですか」
イルカ先生と話していると楽しいし。
「イルカ先生と一緒にいるのが好きなんでしょうね、俺」
「・・・それって、どういう」
言いかけたイルカは途中で黙ってしまった。
視線が、やや下方になる。
機嫌の良かったカカシはイルカの僅かな変化を見逃してしまっていた。
「あ、イルカ先生」
カカシの声は弾んでいる。
「飯でも食べて行きませんか?」
夕飯、まだですよね、と誘われた。
イルカに断る余地はない。
「そういえば」
店の暖簾を潜る時、カカシは気がついた。
「イルカ先生とは散々、話はしましたが」
食事に来るのは初めてですね、と。
ずっとイルカとは公園のベンチで話していたから。
任務の依頼書を貰ったり、報告書を出したりする受付所で会ったこともあるが、その時は事務的な用件しか話していない。
他の人がいるとイルカは、カカシと二人だけの時と丸きり態度が違うのだ。
それは少し悲しい。
でも、とカカシは考えた。
人見知りの嫌いがあるのかな、イルカ先生・・・。
いつも笑顔の人だけど、だからと言って誰にも彼にも親しいという訳ではない。
それとこれとは別の話で。
そう考えるとカカシが偶然にもイルカを見かけ話しかけ、知り合いから更に仲が深まったのは運命に違いない。
俺にも友達が出来たのかもしれない、とロマンチストのカカシは密かに思ったのだった。
好きじゃなくてもいい、嫌わないで2
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