至難のわざ10
イルカが次に目が覚めたときは、ぼんやりと白い天井が見えた。
部屋もシーツも何もかもが白い。
消毒薬の匂いがした。
薄く開いた目だけで左右を見ると、銀色の物体が目に飛び込んできた。
「あ、目が覚めました?」
銀色の物体はカカシだった。
カカシがイルカの顔を上から覗き込んでいる。
イルカの頬にカカシの手が触れた。
「気分はどうですか?」
気分は?と問われても、なんだか怠く、ふわふわしたような感じだ。
微かにイルカは首を横に振った。
「そう、声は出る?」
あ、とイルカは口を開けてみたが声は出なかった。
喉が乾いていて、ひりひりする。
察したカカシがイルカの口元に水差しを持ってきて、水を飲ませてくれた。
水分が喉を通り、喉が湿った後、ようやくイルカは少し声を出すことができるようになった。
「ここ・・・は・・・。」
「木の葉の里の病院ですよ。イルカ先生、三日も寝ていたんですから。」
俺は三日も意識不明だったのか。
ふと横を見ると点滴が目に入り、自分の腕に点滴の針が刺さっていて、治療を受けていたのが分かった。
どうやら、イルカは助かったらしい。
目を閉じて、よかった、と、ほっとすると共に肩の力が抜けた。
再び、目を開けたイルカはカカシを見た。
「カカシ・・・さん。」
「ん、なんですか?」
「ありがとうございました。」
助けてくれて、と、まずは礼を言った。
「カカシさんが、あの時いてくれなかったら。」
俺は死んでいたかもしれません、と。
「そうだねえ。」
カカシは動けないイルカが寝ているベッドに片肘を付き、そこに顎を乗せて、残った片方の手でイルカの髪を梳きながら話した。
「なんで俺も、あの時、あそこを通ろうとしたのかなあ。虫の知らせっていうか、なんてーか、イルカ先生があそこにいるような気がして、イルカ先生の匂いもしたから・・・だったなような気がする。」
俺の匂いって、どんなだろう・・・。
イルカの疑問に構わずカカシは話を続ける。
「そんで惹かれるままに行ってみたらイルカ先生、倒れているし。俺、心臓が止まるかと思いましたよ、ホント。」
「すみません。」
それ以外に言うことがなくてイルカは申し訳なくなってしまう。
「俺がミスったばっかりに・・・。」
「ああ、それねえ。」
カカシが弄っていたイルカの髪を離すと次に手を移動させて、今度はイルカの耳を触り始めた。
「あれはねえ、調べてみたら他里の忍者が新開発した実験段階の結界忍術で、結界内に足を踏み入れると微妙な力加減で術が発動して爆発するようになっていたんですよ。」
もう、どこの里かは分かったので火影さまが厳重に抗議文書出してましたよ、とカカシは憤る。
「人んちの里で実験するなんて怪しからん奴らですよねえ。」
おまけに実験を仕掛けておいて、途中で忘れるなんて間が抜けてますよ、馬鹿ですね〜とカカシの口調は、のんびりだが、所々、言葉の端々でカカシが怒っているのが分かった。
「イルカ先生の傷はね、二、三週間で塞がるらしいですよ。今週いっぱい入院して、あとは自宅療養だって。」
「・・・そうですか。」
声が出始めたイルカは首を動かしてカカシの顔を、しっかりと見た。
そして言った。
「どうして俺に聞かなかったんですか。」
カカシは無言になった。
イルカが何のことを言っているのか検討がついたからである。
「一言、何歳なのかって訊いてくれたらよかったのに。俺の本当の年齢は、今、現在、二十歳超えていますよ。」
確かにカカシに初めて年を聞かれた時、イルカは意識が朦朧としていて「十・・・。」の後に十四歳と答えようか誕生日が、すぐなので十五歳と言おうか迷っているうちに眠ってしまったのだ。
それ以降、カカシは自分に年を尋ねることをしなかったのでイルカ自身も忘れていた。
「そうすればカカシさんが、あんなに悩むことなかったのに。」
色々と悔やまれる。
カカシが真実を知っていれば、総ては事もなしだったのだ。
しばらくカカシは俯いて答えなかった。
先ほどの肘を突いていた体制を崩して、点滴をしていないイルカの片方の手を己の手の中に包んで、そっと持ち上げる。
イルカの手を両手で握り締め、自分の額をイルカの手に押し当てた。
祈っているようにも見える。
やがてカカシから、いつもとは違う弱弱しい声が聞こえた。
「知るのが怖かったんだ。」
「え?」
「何度も、もう一度、イルカに年齢を訊こうとか思って訊けなくてさ。こっそり、イルカの個人記録でも見ようかとも思ったんだけど、できなくて。」
「・・・どうして?」
年齢を訊くのなんて簡単なことなのに。
イルカの手に額を当てていたカカシは顔を上げてイルカを見た。
「知ってしまうことで失うものもあるでしょう。知ってしまったら元には戻れない。」
失うもの・・・、イルカは考えを巡らせるが思いつかない。
「もしもだよ、イルカが俺の知っている年齢より更に年下だったら、俺、どうすればいいと思う?」
「どうすればって・・・。」
どうすればいいんだろう?
「八歳差なら僅かながら俺にもいつか、どこかでチャンスがあるかもと微かに希望を繋いでいたのに、それ以下の年だったら、もう最後通牒突きつけられたとばかりに、すっぱりきっぱり潔く諦める、という無駄で無謀な努力をするしかないじゃない。」
「カカシさん・・・。」
この人は、随分と悩んでいたんだなあとイルカは幸福な溜め息が漏れそうになった。
しかも俺のためを思ってくれて・・・。
ふんわりとした温かさがイルカの胸に訪れた。
力の入らない手でカカシの手を、きゅっと握り返す。
カカシが察したのか、イルカの手を握り締め返してくれる。
「もう悩まなくていいんですよ。俺は成人してますから。」
今出来る精一杯の優しさと労わりを込めてイルカはカカシに言った。
「カカシさん、好きです。最初に出逢ってから、ずっと好きでした。今も、その気持ちは変わりません。」
カカシが目を激しく何回も瞬かせた。
「嬉しい。」
握っていたイルカの手を愛しそうに撫でる。
「俺もイルカのことが好きで好きで堪らない。好きです、イルカ先生。」
二人は見詰めあい、微笑みあった。
心から安心したイルカは眠くなってきた。
たくさん話して疲れたのかもしれない。
誤解も解けて、これからカカシも要らぬことで悩むことはないだろう。
カカシは見るからに、うきうきとした雰囲気を漂わせ嬉しさが隠し切れない様子で、満面の笑みだ。
その笑みは幸せそうの一言に尽きる。
ああ良かった、カカシさん笑っている。
和やかな気持ちがイルカの心に押し寄せてきた。
好きな人が笑っていると、自分も幸せな気持ちになるんだなあ。
ふわあ、と欠伸をしたイルカは眠そうに一言、呟いた。
「ちゃんと告白できて良かった・・・です。俺・・・好きだと伝えたかっただけ・・・なんで。」
「・・・・・・え?」
カカシの顔から幸せそうな笑みが一瞬で消えて、大きく目を見開いた。
「ちょっと、イルカ先生。今、なんて言いました?」
しかし、既にイルカは、ぐっすりと眠りに落ちてしまっていた。
「告白して愛を確かめあった二人が次に進むステージは『恋人』じゃないの?」
カカシの主張は病室に虚しく木魂する。
「好きだって伝えたかった『だけ』なんて、そんなの絶対にイヤですからね。」
すやすやと眠っているイルカの耳元でカカシは密やかに、けれども何回も諦め悪く呟いた。
イルカは一週間を過ぎる前に経過良好で退院が決まり、カカシの家で厄介になることになった。
どちらかというとカカシに押し切られた感がある。
好きだと告白しあった者同士が、どういう関係になるかを教えるとか、何とか彼んとか言い繰められてだ。
カカシの家に連れて来られたイルカは、楽しそうに部屋を見渡した。
ベッドに腰を下ろすように、カカシに言われて座らされる。
何度かイルカは、ここには来たことがあるが八年前のことが、まざまざと蘇った。
「あの時と同じですね。」
カカシが二つのカップにコーヒーを淹れてきて、その一つをイルカに渡す。
「どうも。」とイルカは受け取り、一口飲む。
「最初に出遭った時も俺、怪我をしていてカカシさんに看病してもらいましたね。」
「そうだね。」
カカシはイルカの傍らに座った。
「あの時と同じだね。」
「そういえば、あの怪我って。」
年月の経った今、イルカは漸く、自分から事の経緯を話す決心が出来た。
今まで、ずーっと恥ずかしくて話すことが出来ず、蟠っていたのだ。
「実は、俺、何も障害物がない場所で自分で転んでしまって自分でこさえた怪我だったんですよね・・・。」
間が抜けてますよね、と言って、はははと笑う。
「そこがイルカ先生の可愛いところですよね。」
何気なくカカシは言ってイルカの頬に顔を寄せて、唇を近づけた。
「まあ、全部、可愛いんだけどね。」
囁くように言われてイルカの心音が速くなる。
「あ、あの・・・。カカシさん?」
「体は大きくなったけど、幾つになってもイルカは俺にとって、小さいままの可愛いイルカなんだよねえ。」
今日のカカシさんは、どこか違うなあ。
イルカは、そう感じカカシの顔が見るのが恥ずかしくなってきてしまう。
そのイルカの様子がなんとも言えずカカシの目には可愛く映り、カカシは軽く触れるようにイルカの頬にキスをした。
恋人、としてもキスだ。
そしてカカシに優しく微笑まれて、イルカは思ったのだ。
ああ、幸せだなあ、と。
終わり
至難のわざ9
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蟠る=わだかまる