河の魚 後日談
「とりあえず、帰りましょう。」
カカシがイルカの手を取って立ち上がらせるとイルカは不思議そうな顔をした。
「帰るって、どこへ?」
「うーん・・・。俺の家、かな。」
「なんでです?俺、河へ・・・。」
「まあまあまあ。」と強引にイルカの言葉を遮ってカカシは手を引く。
「火影様が言うには事情がね、色々と変わったそうなんですよ。イルカ先生が知らない事実があるんです。」
「俺の知らない事実?」
イルカは、身を乗り出して聞きたそうなそぶりを見せたがカカシは首を横に振った。
「先ずは、イルカ先生がお風呂に入って冷えた体をあっためて、落ち着いたらでないと話しません。」
カカシが、そう言ったので、結局、イルカはカカシの家に行かざるを得なくなった。
カカシの家で風呂に入り、少し大きめなカカシのパジャマを着せられて、熱いお茶を飲んだイルカは生き返ったように大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
それをカカシは満足そうに眺めていた。
「それで、カカシさん。」
躊躇いがちにイルカはカカシに瞳を向けてくる。
「そろそろ、話してくれてもいいのではないでしょうか?」
カカシに詳細を話すように促してきた。
「そうですね。」
頷いたカカシは話し出した。
「落ち着いて聞いてくださいね。結論から言うと、イルカ先生は河に還らなくてもいいそうです。」
「は・・・。ごほっごほっ。」
お茶を飲みながら聞いていたイルカは、カカシの言葉に口の中のお茶を噴き出した。
「あー、もう。落ち着いてって言ったのに〜。」
甲斐甲斐しくカカシは、噴き出したお茶を拭いている。
「す、すみません。だって・・・。」
赤くなっなったイルカは小さく、かしこまった。
「はい、どうぞ。」
お茶を継ぎ足した湯飲みをイルカの前にカカシは置いた。
「ありがとうございます。」
受け取ったイルカが気を鎮めたのを見計らって、カカシは続きを話す。
「火影様からの伝言で、イルカ先生は河に還らなくていいということです。火影様は河の主の河童から、そう言われたんだそうです。」
「主様が!」
「そうです。」
「なんで!」
「元々、イルカ先生が木の葉の里に来た名目は、里に奉公ではあったけれど、目的はイルカ先生が人間としての暮らしに慣れることだったそうなんですよ。」
ぱたり、と湯飲みを握っていたイルカの手が力を失ってテーブルの上に落ちた。
「・・・・・・なんで。」
呆然としている。
「どうして、そんなことを・・・。」
頭を抱えて呟いている。
河に還れないことへのショックが大きそうだった。
信じていた事実が翻ったことへの動揺が伺える。
そんなイルカを痛ましく思いながらも、カカシは続けた。
「それは、イルカ先生が嫌いだからとかではなくて、寧ろ、イルカ先生の将来を考えてやったことだそうですよ。」
「俺の・・・将来?」
頭を抱えていたイルカはカカシを見詰めた。
「将来って・・・。」
訳が分からぬようだ。
「えーとね。」
どこまで、話していいものやら、とカカシはイルカを迎えに行く前に火影が話してくれたことを思い出していた。
「イルカは、恩返しと言う奉公の名目で里にきたものの、実は人間に姿に慣れるように、どちらかというと、人間の姿で成長して人間として暮らしていけるように導いてほしいと頼まれたんだよね。」
「なんですか、それ。」
カカシが突っ込むと、逆に火影に突っ込まれた。
「イルカという名前は、どっからきていると思う?」
「どっからって、その河童が名付けたんじゃないですか?」
「違うよ。」
火影は短く否定して、驚きの事実を語った。
「イルカはね、正真正銘の『イルカ』だったのさ。」
再び、火影の執務室には沈黙が落ちて、部屋は寒々とした空気が漂った。
「なんだ、驚かないのか?カカシ。」
「寒いギャグだな〜と思って。」
そこで再び落ちてきた火影の拳骨を、今度は華麗にカカシは交わした。
火影は、チッと舌打ちして話を続ける。
「違うって、本当なんだって。知らないのか、河にもイルカは生息するんだぞ。川イルカってやつが。」
「えー、じゃあ、イルカ先生って『本物のイルカ』だったんですか?」
さすがにカカシも驚いた。
「そうだ。」
なぜか、えっへんと火影は大きな胸を張る。
「川イルカの体は薄いピンク色でな、すっごい可愛いんだぞ。」
「へええ。」
「小さい頃のイルカは、河の主に掛けてもらった不可思議な力で人間の姿をとっていたが、子供なので、ちょっと興奮したり緊張すると元のイルカの姿に戻ってな、その姿がまた可愛いのなんのって。」
思い出しているのだろう、火影の顔は、にやけている。
「ピンクのイルカに戻っても、周りの同級生とかは『イルカちゃん、変化上手〜!』くらいで済んでいたしな。」
なんだか楽しそうだ。
「まあ、その不可思議な力のお陰で河を引き寄せて水浸しにしたこともあったが・・・。成長して感情も制御できるようになってからはなくなったがな。」
カカシの目の前で消えた時、座席が濡れていたのは河を引き寄せていたのかもしれないし、またイルカが姿を消したりしたのは、その不可思議な力の影響かもしれない。
「でも、何で、そんな面倒くさいことしたんです?」
カカシは首を傾げた。
なぜ、イルカは人間の姿にならなければならなかったのだろう。
「あー、それはだな。」
火影は、少しだけ哀しげな顔をした。
「本来、木の葉の河に川イルカはいない。イルカは幼い時分に、群れと逸れたのか親を見失ったのかして、一人で木の葉の河に迷い込んできたんだそうだ。」
カカシは黙って聞いていた。
「小さいイルカは口には出さなかったらしいが親を恋しがっているのは一目瞭然で、それにだ、イルカは哺乳類だろ?」
「え、ああ、そうですね。」
「木の葉の里の河には魚類しか生息していない、このまま河で生きていてもイルカの番いになれる者はいない。一生、イルカは独りでいなければならないとしたら、と河の主である河童は考えたのだな。」
河童に宿る親心、があるのかどうか分からないが、イルカを想う優しい心が、人間の世界にイルカを託すことを決断させたに違いない。
「幸い、子供のいなかった海野夫婦がイルカを引き取ってくれて、愛情込めて育ててくれた。」
懐かしむように火影は目を細めた。
遠い昔を懐かしんでいるのかもしれない。
「イルカは、すくすくと育って私も安心できたし、海野夫婦には感謝している。」
悲しい別れがあったが、それでもイルカは人間として生きてきた。
「で、後は、二十年という奉公の間にイルカに好きな人ができて、人間として幸せな一生を送れたら、と思っていたんだが。」
じろり、と火影はカカシを睨んだ。
「イルカに好きな人が出来て、それが何でか、人間の男だったらしい、という情報があってな。」
「そうなんですか?」
カカシは、すっとぼけた。
「だから、まあ、イルカは河に還る必要はないし、人間として里にいればいい。二十年も人間の姿をしていれば形も安定して、本来のイルカの姿には戻れなくなっていることだし。」
「それをイルカ先生は知らないんですね。」
「まあ、そういうことだ。」
そこで、火影との会話は終わっている。
それから、カカシは大急ぎでイルカを河に迎えに来たのだ。
「あのね。」
カカシは大きく息を吸い込み、真実を告げることにした。
イルカの傍に行き、手を取る。
その手は温かい。
「イルカ先生、俺のこと『好きでした』って言ってましたけど。」
かあっとイルカの顔が真っ赤に染まった。
「あ、あれは・・・。」
おろおろ、と目を泳がせている。
「好きでしたじゃなくて、俺のこと、好きですか?」
「えーと。」
手を離さないカカシから逃げられないイルカは俯いて、そして頷いた。
「好きです。」と小さな声が聞こえる。
「カカシさんの目が、とても優しくて。河の主様や三代目、父さんや母さん、今の火影様と同じように俺のこと優しく見ていてくれるから。」
「あー、目がね。」
ちょっと釈然としないものを感じたがカカシは頑張って、気持ちを立て直して言った。
「俺もイルカ先生が好きなんです。」
「えっ!」
「はっきり言うと、愛してます。」
保護者との好きと混同されないようにカカシは、きっぱりと言葉に出した。
誤解もされないように。
「だから河に還らないで、俺と、ずっと一緒にいてほしいんです。」
色々な事情をすっ飛ばして、カカシは自分の事情を優先させた。
火影に言われたことは追々、伝えればよい。
今は強い感情でもって、イルカを引き止めることの方がいいと思ったからだ。
イルカを繋ぎ止めたい、自分の許に。
更に、真っ赤になってしまったイルカは目を伏せると握られたカカシの手を、ぎゅっと握り返してきた。
「・・・いいのかな。これで、いいのかなって、思ってしまって。だって、俺、今、すごく幸せです。」
イルカの葛藤は分からなくもない。
本当ならば、河に還らなければと思っているのだろう。
でも、まあ。
「幸せならばいいんです。」
カカシは、ぎゅっとイルカを抱きしめた。
「幸せなのが一番いい。」
嬉しさが込み上げてくる。
「大丈夫、河の主も許してくれますよ。」
今度、河まで一緒に報告に行きましょう、とカカシが言うとイルカは、やっと笑顔を見せた。
「そうですね。カカシさんが一緒に行ってくれるなら。」
カカシは求める者を手に入れた。
それは、とても幸せなことで、例え、それが何者でも好きならば関係ないのだ。
愛とは、そういうものだとカカシは思い、一人照れていた。
そうして、後日、夜の河を訪れたカカシとイルカは河に、たくさんの胡瓜をお供えし、二人の間であったことを報告した。
帰り際、イルカと手を繋ぎながら歩いていたカカシが名を呼ばれたような気がして振り向くと、川縁に古い巻物や本で見た河童の姿が月明かりで照らし出されており、カカシが瞬きすると次の瞬間には姿が掻き消えていた。
カカシが生涯唯一、体験した不思議な出来事であった。
河の魚 その後
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