決戦日
バレンタイン当日。
カカシは朝から、どきどきしていた。
胸を押さえては、はあと息を吐いている。
何回も何回も。
時々、祈るように両手を合わせて何事か言っていた。
それからベストの内ポケットの部分を何回も触る。
ちゃんとあるのか何度も確認していた。
バレンタインのチョコレートを。
結局、カカシが用意したのは昨日、雑誌で見た『好きな人の心を射止める魔法のチョコ』だった。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも買ってしまったのだ。
チョコは昨夜、イルカと夕飯を食べ分かれた後に、こっそり買いに行った。
誰にも見られたくなかったので店の閉店間際に光の速さでチョコを買うという新たな術を開発してしまった。
・・・まあ、戦闘には役に立たないけどね。
それは致し方ない。
カカシはズボンのポケットに手を突っ込むとイルカに、どうやってチョコを渡すか考え始めた。
ただ渡すのでははく、このチョコがバレンタインの愛の告白だと解ってもらうために。
てくてくと受付所への道を歩きながらカカシは昨日のことを思い出していた。
主にイルカと夕飯を食べた時になる。
「カカシ先生って」
くすっと笑いながらイルカがカカシを見た。
「俺が何ですか?」
イルカの発言なら気に掛かる。
「一途だったんですね」
思い掛けないイルカの発言だった。
「え、一途って?」
なんだか引っかかる物言いだ。
「いえ、悪い意味でないんですよ」
イルカは軽く手を振る。
「ほら、カカシ先生て、いつも冷静でしょう?クールな感じで」
だから好きな人からしかチョコを貰わないし、あげないと聞いて意外だったんですとイルカは白状した。
「バレンタインに興味なさそうでしたしね」
確かにイルカに会うまではバレンタインに興味は一切なかったと言ってもいい。
というより知らなかった。
「なのに、カカシ先生は一人の人を一途に思って情熱的だなあと思ったんです」
そんなにカカシ先生に想われていいなあ、その人・・・。
イルカは呟いた。
本心なのか、勢いで口から出た言葉なのかは判断できなかった。
よっぽどカカシは、俺の好きな人はイルカ先生ですよ、と目の前の本人に告白したくなったのだが、ぐっと堪えた。
明日まで待とう。
せっかくのバレンタイン。
一年に一度の愛の告白日。
どうせならイルカにチョコを渡して好きだと言いたい。
言って・・・。
それから、どうしたいのかは、まだ未知の領域だった。
朝、受付所に行くとイルカがいた。
朗らかにカカシに挨拶をして任務の依頼書を手渡してくる。
朝の受付所は割と閑散としていて、いつもと変わりない。
バレンタインだからといって浮ついた空気は流れてなかった。
「あの、イルカ先生」
依頼書を貰ってもイルカの前を動かずにいたカカシは思い切ってイルカに話しかけた。
「あのですね」
「はい」
「えーと、あの、実は・・・」
イルカと二人の時間を確保したくて今日の予定を聞こうとしてカカシは二の足を踏んでしまった。
考えていなかっただがイルカに断られる可能性もある。
どうしよう、と迷いが生じた。
「あー・・・」
上手い言葉も出てこない。
するとイルカの方から話しかけてきた。
「カカシ先生」
「あ、はい」
「今日って、お時間ありますか?任務が終わった後にでも」
「時間?ええ、もちろん、山ほどあります。任務なんて、すぐに終わせますから!」
「そうですか」
イルカは頷く。
「だったら後ほど上忍の方の控え室に、お邪魔してもいいですか?」
午後からにでも、と尋ねてきた。
「お待ちしています!」
嘗てないチャンスだ。
幸運の女神はカカシを見捨ててはいなかった。
「何をそわそわしているの?」
「何が?」
紅に訊かれてカカシは読んでいる本のページを捲った。
「何って何度も何度も入り口の扉を見ているじゃないの」
「俺の勝手でしょ」
「でもねえ」
鋭い指摘が入る。
「午前中から昼も食べずに控え室に居座って、入り口を見ること既に三桁よ」
正確に言うと百九十六回よ、と紅は言った。
「本だって読んでいるっていうより機械的にページを捲っているだけじゃない」
「ちゃんと読んでいるよ」
「そーお?」
「そう」
断言したカカシは紅の方を見ようともしない。
そこへ誰かが近づいてくる気配がした。
ぴくっとカカシの肩が反応するのを紅は見逃さなかった。
「あ、イルカ先生ね」
名前を出すと今度は完全に反応した。
手から本を落としていた。
入り口の扉が叩かれて。それが開く前にカカシは本を拾い上げる。
直後に、ひょいとイルカが顔を覗かせた。
「あ、紅先生、こんにちは」
「こんにちは」
「カカシ先生、いますか?」
昨日と同様に紅がイルカに微笑もうとする前にカカシが素早く紅の前に立ち塞がった。
「俺ならここにいますよ」
「カカシ先生」
昨日と丸きり同じ光景だ。
これからどうなるのだろう、と紅は柄にもなく、わくわくしてしまった。
控え室にいる上忍はカカシと紅だけである。
皆、出払っていた。
「外に行きますか?」
カカシは控え室を出たそうであった。
頻りに紅を気にしている。
しかしイルカは、そんなカカシの思いなど露知らず「いいえ」と首を振った。
「そんな大そうなことじゃないんです」と手に持っていた包みをカカシに差し出してきた。
可愛いラッピングは、どう見てもバレンタインのチョコにしか見えない。
ご丁寧にラッピングには『バレンタイン』の文字が印刷されてある。
「もしよかったら、これ」
「え、俺に・・・」
カカシは完全に虚を衝かれた形になった。
「俺にくれるんですか、それ」
呆然としている。
まさか、イルカがカカシにチョコを渡してくるとは・・・。
紅も眼前の光景が信じられなくて盛んに目を瞬かせている。
「はい、カカシ先生にです」
イルカは嬉しそうな顔をしていた。
「サクラから聞いた情報では昨今、もてない男性同士のチョコの交換が行われているとかで」
それなら紅も耳にしたことがある。
まさか本当に目撃するとは思っていなかったが。
「日頃からカカシ先生にはお世話になっていますし、感謝の意味を込めて・・・」
そこまで言ってからイルカは「あっ!」と眉を顰めた。
顔に、やばいと書いてある。
失敗したとも。
「すみません」
「どうしたの?」
正にチョコを受け取ろうとしていたカカシの手からチョコを引っ込めた。
罰の悪そうな顔をしている。
「ごめんなさい。俺、すっごい勘違いしてました」
「何がです」
引っ込めたチョコを後ろに隠しながらイルカは一歩、退いた。
「カカシ先生て、もてますよね?」
「は?」
「カカシ先生と俺じゃ、もてない男性同士のチョコの交換は成り立ちません、よね」
恥かしくなったのか、俯いた。
「それに」
「それに?」
「昨日、カカシ先生が言っていたことを、けろっと忘れていました」
「昨日、俺が何か言いましたか」
「ほら、あれですよ」
イルカが目だけを動かしてカカシを見た。
カカシには特に心当たりがない。
「好きな人にしかチョコは貰わないし、あげないって言ったじゃないですか!」
「・・・ああ」
「俺、すっかり忘れていて」
更にイルカは退いた。
「なんで、こんな大事なこと忘れていたのかな・・・」
俺の馬鹿、と小さく呟いているのが紅の目にイルカは初々しく、純情に映った。
・・・イルカ先生って可愛い。
そんなことを思ってしまう。
カカシも同じことを思ったのか「ちょっと待ってください」とイルカを引き止めた。
ここで返すわけにはいかないと思ったのだろう。
男なら勝負に出ろ、と。
「そのチョコください」
「え?」
「ぜひ、イルカ先生のチョコを俺にください」
「でも、好きな人にしかって」
不思議そうにするイルカにカカシはベストの内ポケットから自分のチョコを取り出した。
「それから、この俺のチョコを貰ってください」
「・・・・・・それって、つまり」
かああっと見事なまでにイルカが赤くなる。
カカシの言いたいことが解ったのだ。
「ええっと」
「俺がチョコを貰うのはイルカ先生だけで、俺がチョコをあげるのはイルカ先生だけです」
「ということは・・・」
その先を聞かずに紅は、そっと上忍の控え室を後にした。
扉を、きっちりと閉めて暫くは誰も入れないように幻術をかける。
部屋にはカカシとイルカの二人だけ。
上手くいくに違いない。
・・・明日、カカシにどうなったか聞いてみよーっと。
ふふ、と笑った紅の足取りは軽かったのだった。
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