水溶性
「イルカ先生」
夕方、受付をしていたら、報告書を出しに来たカカシさんに言われた。
「水がたくさんあるところに行きません?」
水がたくさんあるところ?
時々、カカシさんは回りくどい。
何を考えているのか解らないことが多い。
「次のお休みの日って空いてますよね」
俺の次の休み・・・。
っていつだっけ?
慌ててスケジュール帳で確認しようとした俺をカカシさんは笑って押し止めた。
「イルカ先生の次のお休みは・・・」
何月何日と正確に言い当てられた。
それって、もうすぐ。
明後日くらいか?
・・・ところで何で、カカシさんが俺の休みを把握しているんだ?
不審感バリバリでカカシさんを見ると覆面をしていても解る秀麗な顔で、にっこりと返された。
「イルカ先生のことなら」
ゆっくりと言葉を切る。
「俺は何でも知っています」
ふっふっふっとカカシさんは笑う。
ちょっと怖いかもしれない。
俺は夢を見ていた。
夢の中の俺は水の中を漂っている。
ゆらゆらゆらゆら。
水の中で揺れている。
気持ちいい。
目を閉じると、温かい水が体の中に入ってくるようで。
今にも融けて、水と同化しそうだ。
ああ、ずっと水の中にいたい。
水の中で、ずっと。
水がたくさんあるところに俺はいる。
あれ、聞き覚えのある言葉のような気が・・・。
不意に耳元で声がした。
「・・・・・・先生!」
誰かが呼んでいる。
「・・・イルカ先生!」
俺のことを呼んでいる。
誰だろう?
瞼が重くて開かない。
水の中で沈んでいく感覚がする。
すーっと落ちていくような。
「イルカ先生!」
力強い声に俺は現実に戻された。
水の中から引き揚げられて。
陸に打ち上げられた。
元の世界に戻ってきたのだ。
目を開けると目の前にカカシさんがいた。
なんで?
眠っていた、寄りにもよって受付所で。
時間は深夜で丑三つ時。
よかった、誰もいなくて。
・・・あ、カカシさんがいたか。
「イルカ先生、気持ち良さそうに寝ていましたよ」
カカシさんが俺をからかう。
「うう・・・。すみません」
仕事中に寝るなんてなあ。
自分の不甲斐なさに肩を落とすと、カカシさんが俺の落ちた肩を叩いた。
「イルカ先生、疲れているんですよ」
親切にも慰めてくれる。
確かに最近、激務で疲れているかも。
しかも疲れているときに優しくされると・・・。
なんか、カカシさんがすっごく良い人に思える。
いや、良い人なんだけどね。
「ありがとうございます」
立っているカカシさんを見上げて、お礼を言うとカカシさんが妙に、じーっと俺を見て。
慌てて目を逸らした。
「あのですね」
ごほんと咳払い。
「そんな目で見ないでもらえますか」
そんな目って、どんな目?
眠っていたから眠そうな目かなあ。
眠気を覚まそうと目を擦る。
そういや、眠いと何で目を擦るんだろ。
不思議だよな、考えてみれば。
ごしごし擦っているとカカシさんに手を掴まれた。
「眠いときは無理しないで眠った方がいいですよ」と言われた。
そう言われても仕事中だし。
「あと十分くらいで交代でしょう、家に帰ったら眠れますよ」
時計を見ると俺の夜の受付時間が迫っていた。
ほんと、カカシさんて俺のこと何でも知っているんだなあ。
感心しているとカカシさんが報告書を出してきた。
「お願いします」
「はい」
カカシさん・・・。
報告書をチェックする。
夕方にも報告書出していたよなあ、そんで今も出して。
ぽんと受領の印を押す。
カカシさんの方こそ、疲れているんじゃないか。
俺よりも断然に。
「終わりました」
顔を上げるとカカシさんと目が合う。
やっぱり、カカシさんの顔が疲れているような気がする。
「もういいですよ」
微笑んでみた。
「お疲れさまでした」
出来たら、帰って寝てほしい。
こんな時間から寝ても大した睡眠時間は取れないと思うが寝ないよりは、ましだ。
カカシさんの顔から視線を落とすと、いつもはポケットに入っている手が受付のテーブルの上に置いてあった。
指の部分が出ている手袋をしていて、出ている指先が黒ずんでいた。
擦り傷もあり、乾いた血が付着していて。
・・・痛々しい。
傷は深くも大きくのないけど痛々しく、俺は感じた。
カカシさんは多分、いつも俺より大きなものを背負っているんだよなあ。
里のために、色々と。
手を伸ばして触れてみた。
カカシさんの手に。
そっと手を取り、俺の左手にカカシさんの手の片方を乗せて、俺の右手でカカシさんの手を包んだ。
サンドイッチみたいにサンドして。
早く良くなりますように、とカカシさんの手を撫でる。
「痛いの痛いの飛んでいけ〜」って。
・・・あ、これはアカデミーで子どものよくやるお呪いだっけ。
「イルカ先生」
呆れられたかな?
上を見るとカカシさんの顔が真っ赤になっていた。
もしかして、体調悪いのか?
心配なって立ち上がるとカカシさんと目線が合う。
カカシさんと俺は身長差は、ちょっとだけ。
カカシさんのが若干高い。
「カカシさん、大丈夫ですか?」
熱でもあるのか、と額に手を伸ばしたのだが・・・。
額って額宛がしてあるよな、忍者なら。
なので、額に手を当てることはできなかった。
「あのですね、イルカ先生」
まだ、握っていたというか乗せていた手で手首を掴まれた。
両手の手首を。
そのまま手首を引かれると、ぐっと近くなる。
・・・なんだろう、この構図。
傍から見ると、にらめっこしているように見えるかもしれない。
「あのですね」
顔の赤みが多少は引いたカカシさんが困ったような顔をして俺を見ている。
「こんなことを、しょっちゅうされる俺がどんな心境か解っていますか?」
真剣な顔と声で言われた。
「俺だって我慢の限界があるんですよ?」
・・・真剣なカカシさんの顔は迫力があるなあ。
「いつもいつも、俺の気も知らずに、こんなことをするイルカ先生に俺がどんな気持ちを持ってしまうのか、考えてみたことあるんですか?」
って言われても。
俺、いつもいつもカカシさんの手を撫でたりしてないよ、な?
そう言うとカカシさんは、がくーっと肩を落とした。
「そういうことじゃなくて」とか何とか呟いている。
溜め息まで吐いて。
任務で何か辛いことでもあったのだろうか?
心配だ。
「あの、カカシさん・・・」
言葉を続けようとしたところで、受付の交代要員が来てしまった。
夜の受付の引継ぎなんて特にない。
すぐに終わって俺はカカシさんと夜道を帰ることになった。
ぽてぽてぽて。
すたすたすた。
カカシさんと俺の足音だ。
同じ忍者なので歩き方が違うって、これ如何にだ・・・。
無言で歩いて分かれ道に来た。
俺の家はこっちで、カカシさんの家はあっち。
「それじゃあ、ここで・・・」
カカシさんが不機嫌そうなので、俺はおっかなびっくり別れの挨拶をした。
「おやすみなさい、また明日」
「うん、おやすみなさい」
挨拶を返してくれたカカシさんの声は思いのほか落ち着いていて、ほっとした。
「暗いから気をつけて帰ってね」
「はい」
「危ないと思ったら、すぐに俺を呼んでね」
「・・・はい」
「約束忘れないでね」
「あ、はい」
「絶対ね」
念を押されて頷くとカカシさんは満足そうに頷いて、すっと闇に消えた。
危ないと思ったら呼んでとかって、子ども扱いされたのは否めないが、まあいっか。
俺の身を案じてくれたってことで。
約束は明後日じゃなくて、もう明日か〜。
俺は、ぐっと伸びをした。
夜の冷たい空気を肺に吸い込む。
カカシさん、水のたくさんあるところに連れて行ってくれるって言っていたっけ。
それって、どこなんだろう?
水がたくさんか、そういうのいいかも。
楽しみになってきた。
そして家に帰った俺は即効で寝たのであった。
明日は、すぐに来た。
当日はカカシさんと待ち合わせて。
お互いに私服だった。
「へー、カカシさん、カッコいいですね〜」
ラフな感じのお洒落なシャツに軽い感じのセンスのいいズボンのカカシさん。
今日は覆面ナッシング〜。
「若く見えます」
二十歳くらいに、と感想を述べるとカカシさんは顰め面をした。
「イルカ先生の言われたくないです」
イルカ先生の方が断然若く見えます、と言い返された。
「若いっていうか、子供みたいですよ」
「そうですか〜」
俺は自分の服装を見返す。
ラフっていうより、楽な服装で来てしまった。
ちょっと不味かったかな?
「子どもみたいだけどイルカ先生には似合っていて、とっても可愛いですよ」と褒めてくれた、一応。
そんでもって。
「さあ、行きましょう」
連れて行かれた場所は大きな大きな。
水族館だった。
「水族館」
建物を見上げてしまう。
「そういえば、木の葉の里に先月オープンしたって誰かが言っていたような」
「そうそう、俺も初めて来ました」
カカシさん初めてなんだ、俺も初めてだ。
「海の生き物が何十種類もいて、大きなガラスの水槽が見ものなんだそうですよ」
「へええ」
大きな水槽。
カカシさんが言っていた水がたくさんあるところって、ここだったんだ〜。
水の中を泳げる生き物が見られるんだな。
わくわくしながら、俺は水族館に入っていった。
「すごいですね・・・」
大きな水槽にたくさんの水。
透明な水の中を魚が群れを成して泳いでいる。
壮大で見事。
圧倒される。
とても綺麗だ。
目が離せない。
「本当にすごいですね」
俺の隣で水の中を見ていたカカシさんが、ぽつりと呟き、俺は頷いた。
本当にすごい。
すんごい綺麗で癒される。
体に溜まっていた疲れが、すーっと消えていくような。
なんだっけ、水の何とかテラピーとかあるのかな。
何も考えずに、ぼーっと見ていても飽きない。
いつまでも観ていたい。
そんな俺の手をカカシさんが引く。
「あっちに、もっとすごい生き物がいますよ」
もっとすごい?
手を引かれるままに行くと、そこには。
海豚がいた。
海豚ってイルカだ。
海に住んでいる、俺と同じ名前の。
大きな水槽の、たくさんの水の中を優雅に泳いでいる。
すいすい、すいすい。
「可愛いでしょう?」
「はい」
「イルカって本当に可愛くて癒されますよね」
「はい」
うん、海の海豚は可愛くて癒される。
「イルカ・・・はいつも頑張っていて、見ているこっちがはらはらすることもあります。無理してないか、これでも心配しているんですよ」
「はあ・・・」
海豚に見蕩れてカカシさんの言っていることが耳に入ってこない。
海豚、かわいー。
「最近も仕事で疲れていて、倒れやしないか心配で心配で。気遣っても大丈夫とかしか言わないし」
ぎゅっと手が握られた。
さっき手を引かれて、繋いだままだった。
「自分のことより人のことばっかり心配して、こっちがしんどい時は優しくしてくれて笑ってくれて、これで何も思わない訳ないでしょう?」
ねえ、聞いてます?と、ぐいと繋いだ手を引っ張れた。
「あ、すみません」
俺は素直に謝った。
「聞いてませんでした」
何しろ、海豚に目も心も釘付けで。
カカシさんの言っていること聞いてなかった。
「で、あのー」
何や彼や言っていたけど、結局、何が言いたいんだろ?
素直に聞いてみるとカカシさんが苛立ったように言う。
「だから!自分の誕生日くらい、ゆっくりして!疲れを癒してほしいってことですよ!」
「え・・・」
「好きな人が頑張って疲れていたら、何かしてあげたくなるでしょう」
「・・・え」
「それに俺だって好きな人との初デートが水族館っていいなあって、水族館デートに憧れてましたし」
俺、何を言ったらいいんだろう?
「好きな人の誕生日を祝ってあげたいって普通の欲求でしょ」
・・・カカシさんに言われたことが頭の中が、ぐちゃぐちゃになる。
まずは、えーと何だっけ。
「俺の誕生日って今日なんですか?」
「そう」
水族館内の時計に付いている日付表示を確認すると確かに今日だった。
すっかり・・・、すっかり忘れていた。
ああ、また一つ年を取ったんだなあ。
「自分でも忘れていたのに、カカシさんは覚えていてくれたんですね」
俺の誕生日。
「そりゃあ、好きな人の誕生日ですもん」
カカシさんは胸を張る。
「リサーチは欠かしません」
「はあ」
そうだったんだー、誕生日だったんだー。
気が落ち着いてきたのでカカシさんにお礼を言った。
「カカシさん」
「なに、イルカ先生」
カカシさんが何かを期待するように、というか俺に何かを期待している。
「誕生日覚えていてくれてありがとうございます」
「いえ、まあ」
「嬉しいです」
本当に嬉しい。
俺の誕生日を覚えてくれて、誕生日に水族館に連れてきてくれて。
すごく癒された。
疲れも吹っ飛ぶ。
「イルカ先生、誕生日おめでとうございます」
この年になって、誰かに誕生日を祝ってもらうなんて嬉しいこと、この上ない。
「ありがとう、カカシさん」
にっこり笑ったカカシさんに俺は、にっこり笑い返す。
にこにこにこにこ。
見詰め合って笑っていると痺れを切らしたようにカカシさんが言う。
「それだけ?」
「それだけって?」
再び、にこにこ見つめ合う。
にこにこしながらカカシさんの口から言葉が漏れた。
「手強い・・・」
手強いって何が?
そんなことよりも。
「カカシさん」
今度は俺がカカシさんの手を引いた。
「他の水槽も観にいきましょう!もっと、たくさん観たいです」
せっかく来たのだから、思う存分、堪能しないと。
たくさんの水を。
水族館を。
そして、いつの間にか。
カカシさんと繋いだ手の指が、しっかりと絡み合っていて。
恋人みたいになっていて。
なんだかいいなと思ったのだった。
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