勝利の女神
イルカが里内を歩いていると前方から見知った顔が歩いてくるのが見えた。
こんなところで珍しい。
まじまじと見つめてしまう。
木の葉の里の長、五代目火影の綱手だ。
仕事はどうしたのだろうと訝しく思い、綱手を見つめてしまっていた。
そういえば、イルカはあることを思い出した。
火影さまの付き人のシズネさん、任務でいなかったな。
付き人のシズネは綱手のお目付け役とでも言うべき人で、常に付き従っている。
まるで姉妹のように仲もいい。
綱手の色々な面倒を見ていた。
時には怒ったり叱ったりもしていた。
近づくにつれて、綱手の足取りが非常に軽く、軽快にステップを踏んでいるのが分かった。
そして、手には財布を握り締めて。
にこにこと笑っていた。
「イルカ先生じゃないですか、どうしたの?」
急に背後から声を掛けられイルカは肩を、びくっとさせた。
振り向くと、そこにも見知った顔が。
「カカシさん」
どきどきする胸を押さえてイルカは、ほっと胸を撫で下ろす。
「もう、びっくりしたじゃないですか」
「それは、こちらの台詞ですよ」
ポケットに手を突っ込んだまま、猫背のカカシは目を細めてイルカを見る。
「こんな歓楽街でイルカ先生を見た日には、こっちの方がびっくりします」
「あ・・・」
イルカはカカシの言葉で、改めて辺りを見回した。
そこは里の中でも子供の出入りが禁止で、飲み屋等が多く立ち並んでいる。
近道しようと思って通っただけなのに。
滅多に訪れない場所であることに気がつき、イルカは目をうろうろとさせた。
「俺は、ただ近道しようとして通っただけなんです」
なぜか、カカシに言い訳をしてしまう。
「だと思いましたよ」
カカシは今度は安心したように目を細めてイルカの手を取った。
「俺はイルカ先生の姿を見かけて心配になって来ただけで。早く、ここを通り抜けてしまいましょう」
「はい」
そうして歓楽街を通り抜けようとしたとき、カカシとイルカは綱手に見つかった。
「なんだ?カカシとイルカじゃないかい」
綱手は陽気に話しかけてきた。
「こんなところで、どうしたんだ?ははーん、さては私みたいに生き抜きに賭け事でもしに来たのか?」
勝手に解釈される。
「私も鬼・・・。あ、いや、シズネの居ぬ間に命の洗濯でもしようかと少しだけ賭場に来たのさ」
綱手は上機嫌だ。
「私のお気に入りの賭場がある。常連なんだ」
常連・・・。
負ける方の常連かもしれない。
「一緒に行こうじゃないか!」
綱手に誘われては断れない。
何しろ、曲がりなりにも相手は里長だ。
例え、賭け事が大好きでも。
「どうしましょう?」
うろたえたイルカがカカシに、こっそりと尋ねるとカカシは余裕たっぷりに答えた。
「面白そうじゃないですか、行ってみましょう」
「ええ〜」
そのまま、イルカは人生で初めて賭博場と呼ばれる場所に足を踏み入れた。
カカシの手を、ぎゅっと握ったままで。
「なんか・・・」
きょろ、と辺りを見たイルカは肩越しにカカシに囁いた。
「異様な雰囲気ですね」
自然と小声になる。
「そうですねえ、欲望が渦巻いていますからねえ」
勝ちたいという人々の欲望が、と言うカカシは顔色一つ変えない。
イルカは味わったことのない、賭場独特の雰囲気に完全に飲まれていた。
勝った負けた、丁だ半だとあちこちから声が聞こえてきて、目を血走らせた人たちが無数にいる。
ちょっと怖いなあ、と怖気づく。
それが態度に出たのか、またカカシの手を握り締める、縋るように。
カカシも何かを察したのか、イルカの手を握り返した。
「俺、賭け事なんてしたことないんですが」
眉を八の字にさせたイルカが困ったような顔をするとカカシが元気付けるように握ってない方の手でイルカの肩を叩いた。
「まあ、綱手さまの付き添いみたいな感じでいいんじゃないですかねえ」
無理に賭け事をする必要もないですよ、と言ってくれたのでカカシとイルカは賭け事に勤しむ綱手の後ろで座って控えていることにした。
綱手は調子がいいようであった。
伝説の何とかとか言われているとイルカは聞いたことがあったのだが、そんな伝説も吹き飛ばす勢いで勝ち続けている。
賭け事のルールは、よく分からないが綱手が勝っていることは分かる。
「火影さま、波に乗っていますね」
「そうですね、憑いていますね」
カカシとイルカは、ひそひそと言葉を交わす。
「あんなに生き生きしている火影さまは初めて見ました」
「まあ、賭け事に人生賭けている節があるので」
「仕事もあれくらい熱心に集中して、やってくれたらシズネさんも喜ぶのに」
「だから、火影さまなんですよ」
分かったような分からないような会話をしていると綱手が参加している輪から「おおっ!」と歓声が上がっていた。
「やったー!ツキが回ってきた!」
綱手の顔は、これでもかと輝き、両手を万歳と挙げている。
「一人勝ちじゃないか!大勝ちだ!初めてだ!次の大一番で勝てば、今での総ての負けを取り戻せる!」
大はしゃぎだ。
ところが懐を探った綱手は、あれ?と眉を潜めた。
懐の財布を取り出して中味を確認する。
「・・・・・・・・・ない」
財布の中味は空っぽだった。
空ということはお金がないということで、つまり。
もう賭けることはできないということ。
これで終わり、ジ・エンドだ。
はっとした綱手はカカシとイルカを目にすると、さっと寄って来て目の前で手の平を、ぱんと合わせた。
頭も下げる。
「頼む!一生のお願いだ!金を貸してくれ!」
借金を申し込まれた。
「え?ええっ!あ、あの、お金って幾ら・・・」
人のいいイルカは自分の財布を取り出す。
しかし、額を聞いて飛び上がった、実際に。
「た、大金じゃないですか!」
イルカの財布からは、じゃらじゃらという音しかしない。
小銭の音だ。
「そんなお金無理です、持ってません」
貯金はしているが、そんな綱手にいう額には及ばない。
というか、そんな金額がどこから出てくるのか想像に苦しむ。
・・・賭け事って怖ろしい。
イルカは肌で実感した。
「あー、俺、ありますよー」
傍らで場に相応しくない暢気な声がした。
カカシだ。
「ちょうど、それくらいなら都合できますよー」
ほら、とズボンのポケットからお金を出す。
そんな大金、どこにしまっていたのかと疑問が出るほど、カカシのポケットからお金がわらわらと出てくる。
まるで、手品みたいに。
「有り難い!」
「是非とも貸してくれ!」という綱手に「うーん」と難しい顔をしたカカシは首を振った。
「貸しません」
「なんで!絶対に勝つから!勝ったら倍にして返すから!」
「火影さまには貸しません。イルカ先生になら貸してもいいです」
「え、俺?なんで?」
急に話が振られたイルカは驚きに目を丸くする。
「俺は貸してもらっても」
賭け事しませんから、とイルカは言ったのだが。
カカシは、こう提案した。
「イルカ先生になら、お金は貸します。その貸したお金をイルカ先生がどう使おうと、それは自由です」
イルカ経由で借りろと仄めかしている。
「イルカ!勝利の女神がそこまで来ているんだ!」
綱手は頼む相手をイルカに変えた。
「頼む!お金を貸してくれ!勝ちたいんだ!絶対に勝つ自信がある!」
「そ、そんな〜」
綱手に拝むように手を合わされて、深く頭を下げられてはイルカは立つ瀬がない。
断ったら悪いような気がした。
「で、でも、こんな大金・・・。俺の生涯賃金より多い金額なんて借りて、もしも返せなかったら」
「大丈夫だから!な?な?な?」
結局、綱手に押し切られてしまった。
何を考えているのか、分からないカカシは「貸し借りするなら借用書を書かないとね〜」とか言って、借金の証文を、すらすらと書いていく。
「はい、ここ読んで。イルカ先生と火影さまはサインしてください」
「よし!分かった!」
意気込んでいる綱手。
「わ、分かりました」
意気消沈しているイルカ。
さっとサインした綱手に対して、イルカの手は震えている。
まさか、このような展開になるとは予想もしていなかったのだろう。
「ど、どうしよう・・・」
イルカは蒼褪めている。
「大丈夫ですよ〜、何とかなりますって」
カカシはイルカを気楽に慰めた。
結果はいつもの通りだった。
綱手のボロ負けで幕を閉じた。
いっとき、勝ったかに見えたのは幻だったのだ。
儚い夢だったのだ。
綱手の賭け事に対する運命は所詮、最初から決まっていたのだ。
勝利の女神は綱手には微笑まなかった。
がくーっと肩を落とした綱手は生気を失っている。
目が死んでいた。
「火影さま?」
心配になったイルカが話しかけると綱手の虚ろな目がイルカに向けられた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない・・・」
確かに、ちっとも大丈夫そうではなかった。
賭場から去っていく後ろ姿が小さい。
とぼとぼと歩く綱手は、とても里長には見えない。
「イルカ先生が気にすることないですよ」
いつものことです、とカカシは切り捨てた。
「負けても負けても懲りないんだから」
「そうですけど」
何か言いたげなイルカにカカシは、ぴらっと借金の証文を翳した。
「それより、イルカ先生。こっちを心配した方がいいんじゃない?」
「ああっ!そうでした!」
イルカはカカシにお金を借りたのだ。
それは綱手に使われてしまったけれども。
お金を借りたのは事実だ。
「お、俺、どうしたら・・・」
一生かかって働いても、到底、イルカには支払えない額だ。
一括でも分割でも払えない。
「Aランク任務を、ばんばん受けたらいいですかね?」
そう言うイルカは泣きそうな顔だ。
「まあまあ、落ち着いてイルカ先生」
泣き出しそうなイルカの手を引いてカカシは歩き出す。
「Aランク任務なんて、ばんばん受けたらイルカ先生、死んじゃうかもしれないでしょ」
何気に失礼なことを言っていたが、今のイルカの耳には届いていない。
「だって、そんな見たこともないような金額、どうしようもないです」
絶望的な声を出している。
イルカの頭の中では、お金を返さなきゃ、でもどうやって?がぐるぐるとしていて周囲に目が行かない。
カカシに手を引かれるまま。
気がついたときには知らない場所にいた。
「あれ?ここ、どこ?」
知らない家の知らない部屋、のような気がする。
「あ、俺の部屋です」
言われてみれば、カカシの部屋でイルカも何回か来たことがあった。
座ったイルカの前にはカカシがいる。
「さっきも言いましたけど、落ち着いて証文をよく読んでください」
促されてカカシが作成した証文をイルカは読んでいく。
読んでいくうちに、別に意味が顔色が変わった。
「ね?お金で返さなくていいって書いてあるでしょ」
カカシは楽しそうだ。
「そこに書いてある条項を満たしてくれれば、お金を返さなくていいんですよ」
「そう言われても、これって」
証文を最後まで読んだイルカは複雑な顔をしている。
「何ですか・・・。ご飯をカカシさんに作るとか、カカシさんがご飯を作ってくれるとか、そんでもってご飯を一緒に食べるとか」
「いいでしょー」
くふふふふ、とカカシは覆面の下で笑う。
「俺の欲望ですよー」
「欲望・・・。えーと、あとはお泊りをする、帰りは待ち合わせて帰る、休日は一緒に過ごす、慣れてきたら手を繋ぐ、もっと慣れたら抱きしめる、もっともっと慣れたらホニャララ。で、将来的には一緒に住む?」
他にも諸々、仔細に書いてあった。
顔を上げたイルカは困惑している。
書いてあるのはステディな間柄の二人がやるようなことだったから。
イルカの中でステディとは恋人を意味する。
「趣旨は理解しましたが、理由が解りません」
「理由?」
「はい、カカシさんと俺が何でこんなことをするのか・・・」
関係性が不明だ。
「あー、それはね」
目を細めたカカシは覆面を下ろした。
「こういうことです」
身を乗り出したカカシはイルカに触れるだけのキスをした。
「実は俺、出逢ったときからイルカ先生のことが好きだったんですよね」
イルカにすれば青天の霹靂だった。
でも、カカシのことは嫌いじゃない。
むしろ、好感を抱いている。
照れくさそうにしたカカシは頭を掻く。
「イルカ先生、好きです」
カカシは告白した。
それから二人は、どうなったのか。
どうやら、勝利の女神はカカシに微笑んだようで。
カカシの長年の片思いは実を結んだようだった。
後日。
任務から帰ってきたシズネを捕まえたカカシは例のことを告げ口した。
「というわけで、火影さまはイルカ先生に借金あるから返済させてね」
借金の証文をシズネに見せて、銀行の通帳を手渡した。
「これ、俺が勝手に作ったイルカ先生の銀行の口座。これに少しずつでいいから返済のお金を振り込んでね」と。
その後、シズネの雷が綱手に落ちたのは言うまでもない。
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