『きれい』
きれいなものに憧れる。
うみのイルカはかわいいものも好きだが、それよりも。
きれいなものが好きだった。
人でも物でも景色でも、なんでも。
きれいなものって見ていて飽きないしな・・・。
それに心が洗われる気がする。
忍という家業で、くすんで曇った心が澄んで透明になっていくような感覚になる。
過去の悲しみも薄れる。
だから。
きれい、が好きなんだ。
自分にないから憧れるのかもしれない。
教え子が切っ掛けで、ある上忍と知り合いになった。
その上忍の名は、はたけカカシ。
誰もが知っている有名な忍でビンゴブックにも名を連ねる。
本来のイルカの仕事内容を考えれば特に知り合うことがない人物だ。
アカデミーと受付所を主な仕事場にしているイルカは今では余り前線に出ることはない。
時折、任務で里外に出る程度で。
なのに高ランクの任務を今でも請け負う現役真っ最中の忍が目の前にいて話をしている。
イルカは、その声を聞いている。
俄かには信じられないような現実であった。
・・・カカシ先生と話すの、まだ少し緊張するな。
カカシがにこやかに話しかけてきて、他愛もない世間話のようなことを話しているのも信じにくい。
・・・割と普通の人なんだな。
はたけカカシを雲の上のような人物に捉えていたイルカは少しばかり親近感を覚える。
・・・普通に話して普通にご飯食べて普通に笑って。
自分がしている生活と何ら変わることはない。
それに。
イルカは思う。
カカシ先生って良い人だよな・・・。
こんな自分にも親切にしてくれる。
いつの間にかイルカはカカシに心を許しつつあった。
ある時、カカシに誘われた。
二人の距離がだいぶ近づいた頃だ。
「イルカ先生」
いつものように温和な笑みを浮かべたカカシは、ごく普通にイルカを誘った。
「今夜、飲みでもいきませんか」
初めての誘いだ。
話したことは多々あるが、それは廊下だったり、偶然会ったばしょだったり。
示し合わせて一緒にいて話すということではなかった。
「飲み・・・にですか?」
イルカは躊躇する。
・・・カカシ先生と飲みに?飲みって、もちろんお酒だろうなあ。
考える。
・・・酒が入ると言わなくてもいいこと言ったりしたら、どうしよう。
余計なことを言ってしまうかもしれない。
カカシの中の自分の評価が下がってしまったら、どうしよう。
そんなことを考えた。
「いいじゃないですか」
そんなイルカにカカシは朗らかに言う。
「イルカ先生、飲めないわけじゃないんでしょ?暑くもなってきましたし、冷たいビールを飲むには最適な季節じゃないですか」
冷たいビール・・・。
嫌いではない。
寧ろ好きだ。
夏の風呂上りに飲むビールは最高だと、いつも思っている。
「そう、ですね」
漸く頷いたイルカにカカシは満足そうな顔をした。
「あ・・・」
飲みに来て向かい合って座った際にイルカは、そのことに気がついた。
「カカシ先生って」
今のカカシは飲食をするために顔から下半分を覆う覆面を首元まで下げている。
普段のカカシは、それに加えて左眼を額宛で隠しているので出ているのは右眼だけ。
容貌が不明で怪しげな雰囲気だったのに。
イルカは目の前のカカシの顔に惹きつけられた、呆気なく。
「男前なんですね・・・」
男性にしては端正な作りの顔で、要はきれいだ。
イルカの基準で言えば、この上なく『きれい』だ。
「ええ、よく言われます」
あっさりと受け流したカカシは酒の入ったグラスに口を付ける。
それでさえ、絵になる男前だ。
一枚の絵画のようにきれいだ。
きれいが好きなイルカが見蕩れてしまうのも無理はない。
いつまでも見ていた気分になる。
同時に隠されている左眼が気になってしまう。
噂の写輪眼が見たいわけではないが、その隠された顔の部分が現れたらカカシの容貌はどんなだろう。
さぞかし、きれいに違いない。
───見てみたい、全部。
強烈な欲求に駆られた。
店を出てからの帰り道。
強かに酔ったイルカの足元はふらついている。
カカシの顔を見ながら普段より酒が進んでしまった。
・・・カカシ先生の顔がきれいなのが悪い。
心の中でカカシの所為にする。
「イルカ先生、大丈夫ですか」
横を歩くカカシが心配そうに声を掛けてくる。
「だ、大丈夫、ですっ」
ふらっとしたイルカを苦笑交じりのカカシが支えた。
「あんまり大丈夫じゃないみたいですねえ」
「そっ、んなことないです」
「イルカ先生、かわいーい」
かわいい?
聞き違いか、空耳か、幻聴か・・・。
生きてきて、そんなことを言われたことなど一度もない。
ましてや同性になんか。
店を出るとイルカの足元がふらついたのを見てカカシは慌ててイルカを支えた。
イルカはカカシの顔を見ながらというか、凝視しながら酒を飲んでいた、ひたすら。
少しも眼を離さずに、本当にただひたすらにカカシの顔を見ていた。
そして今もカカシの顔がひどく気になるのか、覆面を上げたのにも関わらず熱心に見ている。
顔半分覆う覆面も左眼に掛かっている額宛も見透かそうとするように。
子供が何かに憬れるように眼をキラキラさせてカカシを見ていて。
カカシは思わず言ってしまった。
「イルカ先生、かわいーい」
本心だった。
カカシの言葉が聞こえているはずのイルカは一瞬、ぎょっとしたようにカカシを見てから聞こえてない振りをする。
言われ慣れてないようだった。
・・・まあ、普通は男が男に『かわいい』とか言わないし。
言われ慣れていたら、それはそれで嫌だ。
・・・イルカ先生にかわいいなんて言うのは俺だけでいいし。
それにとカカシはイルカに悟られないように笑みを浮かべた。
・・・イルカ先生が『きれい』なものが好きだって知っていたしね。
少し近づいて計算ずくで自分の『きれい』な顔を披露した。
案の定というか、イルカはカカシの顔の虜になったようで。
それも計算の上だ。
「ねえ、イルカ先生」
カカシはアルコールが回って正常時よりも判断が鈍っていると解った上で持ちかけた。
覆面を下ろして、にこーっと笑うとそれだけでイルカはカカシの顔に釘付けになっている。
そっと人差し指で自分の唇をなぞった。
「ここに」
自分の唇をなぞった指でイルカの唇をなぞる。
「イルカ先生ので触れてくれたら額宛を外してもいいかなあ」
何をとは言わない、敢えて言わない。
「そ、それって」
ごくりと唾を嚥下したイルカが赤くなったのはアルコールの所為ではなくて。
「あの・・・」
何かを言おうとして躊躇って、結局言えない。
初心だなあとカカシは嬉しく思いながらも何でもないように言った。
「単に体の一部が触れあうだけでしょう」
それが何か問題でも?
「・・・いえ、特に問題、ない・・・です」
カカシの両肩にそっと自分の両手を掛け、僅かに背伸びしたイルカの顔がカカシの顔に近づいた。
イルカを自宅まで送った後、カカシは一人夜道を歩きながら昔を思い出していた。
カカシとイルカが初めて会ったのは実は何年も前になる。
イルカは覚えてないようだったがカカシは、しっかりと覚えていた。
カカシはイルカとの再会を夢見て忍を続けていたと言っても齟齬はない。
それだけが心の支えになっていた。
死なないように、イルカに会える日を願って任務を必死にこなしていた。
「あのときイルカは俺を助けてくれたんだ」
辛い任務を終えて里に帰ってきたときだった。
木の葉の里を一望できる高い場所にいるイルカを見つけた。
ちょうど夕暮れ時で木の葉の里を夕日が赤く照らしていた。
それをイルカはじっと見ていた。
黒い瞳に夕日に彩られた里の風景が映っている。
カカシの気配に気がついたのかイルカが振り返った。
「きれいだね」
屈託なくイルカはカカシに話しかけてきた。
「夕日ってきれいだね、夕日で赤くなる里もきれいだね」
「・・・え」
そんなこと考えたこともなかった。
言ってからイルカは視線を赤い夕日と赤くなった里に戻す。
その瞳が、とても優しく見えたことをカカシは鮮明に記憶している。
「きれいなものを見ていると」
カカシの返事を期待していないのかイルカは勝手に喋り続ける。
「勇気が出るね、この『きれい』なものを護らなきゃって」
明確な意思を持ってイルカは話していた。
「きれいなものは壊したくない」
壊したくない。
護りたい。
もう一度、カカシに振り返ったイルカは笑っていた。
イルカの顔も夕日に照らされていて、それが強く印象に残った、いつまでも。
きれい、だったから。
そしてカカシは思ったのだった、決意と言ってもいい。
──きれいなものの為に強くなる。
そんな理由で強くなってもいいじゃないかと。
それがイルカに繋がるならば。
「また会えてよかった」
あのときのイルカの顔を思い出してカカシの口角は上がる。
「会えたんだから容赦なくイルカ先生を攻略しますよー」
誰ともなくカカシは呟いた。
「俺の初恋を成就させますから」
楽しみにしていてくださいね、イルカ先生と。
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