君にありがとう
里の中が浮かれている。
正確に表現すると里の人間が何やら、そわそわそわと落ち着かず、どこか浮き足立っている。
女も男も関係ない。
そして、そこかしこに甘い空気が漂っていた。
本当に甘い匂いがする。
それはチョコレートの匂いであった。
「ねえ、ここんとこ、おかしくない?」
控え室で待機しながら本を読んでいたカカシは最近の里の雰囲気に疑問を感じて、傍にいるゲンマに尋ねた。
ゲンマは特別上忍で、いつも千本を銜えている優男だ。
「なあに、もうすぐアレなんで皆、浮かれているんでしょう」
「アレって何?」
「カカシさん、知らないんで?」
またしても尋ねるカカシにゲンマは首を傾げた。
「アレってアレですよ」
にやっと笑う。
「バレンタインですぜ、明後日」
「バレンタイン?」
「そうですよ」
「バレンタイン・・・って何?」
カカシはバレンタインに馴染みがなかった。
つい最近、里に帰ってきたばかりで日が浅い。
里の外で過ごしてきたカカシは任務任務の日々でバレンタインなぞ、関わりがなかったのかもしれない。
ゲンマは丁寧に説明した。
「バレンタインってのは二月の十四日で、女性が好きな男性にチョコレートを送って愛を告白する日なんですよ」
「ふーん」
「昨今は同性同士でチョコを贈りあったりする友チョコだのありますがね」
「へえー」
カカシは気のない返事を返す。
余り興味がないらしい。
しかし、次のゲンマの一言でカカシの眉が、ピクリと動いた。
「今年もイルカは、たくさん貰うんだろうなあ」
「イルカってイルカ先生のこと?」
カカシは読んでいた本を、パタンと閉じた。
「イルカ先生ってチョコ貰うの?」
立て続けに質問されたゲンマは驚きながらも頷く
「え?ああ、まあ、イルカは結構、貰ってますよ」
「誰から?」
「誰からって・・・。あー、色んな人からですかねえ」
「色んな人って?」
「ほら、イルカって受付にいるでしょ?だから貰う機会が多いみたいですよ」
受付所の係りをしているイルカは人と接する機会が確かに多い。
「それに」とゲンマは、ピラッと左手の人差し指と中指に挟んだ物をカカシに見せた。
どこにでも売っている板のチョコレートだった。
「いっつも仕事頑張っているし、任務で疲れて帰ってきたときなんて笑顔に癒されているから、お疲れってのとありがとうってのと」
楽しそうな顔になる。
「イルカにならチョコレート渡しても変に邪推されることもなくて、イルカに渡すのは妙に納得してしまうんですよね、イルカにならいいかなあって」
「じゃ、それ」
カカシがゲンマが持っているチョコを指差した。
「イルカ先生に渡すの?」
「そうでさあ」
ゲンマは頷く。
「俺、夕方から任務でバレンタインにはいないんで。ちょっと早めに」
「・・・そう」
「イルカにチョコレートを渡すのが面白いってか楽しいってか、ちょっとしたイベントですかね」
そんじゃあ、とゲンマは立ち上がった。
「受付所に行って任務依頼書を貰いに行くとしますか」
多分、その時、イルカにチョコレートを渡すのだろう。
そんなゲンマの後姿をカカシは、じっと見据えていた。
「ねえ、イルカ先生」
帰り道、カカシは聞かずにはいられなかった。
「はい、なんでしょう?」
穏やかな顔をしたイルカが微笑んだ。
その顔にカカシは少しだけ心臓を早くする。
「えーっとですね・・・」
「はい?」
今日、ゲンマにチョコを貰ったか、他にも貰ったのかを聞いてみたいのだが容易に口から出てこない。
聞きたいけれど聞きづらい。
すると何かを察したのか、イルカから話を振ってきた。
「もうすぐ、バレンタインですねえ」
「え・・・。ええ、そうですね」
「カカシ先生は」
悪戯っ子な顔でイルカはカカシを見る。
「格好良いから、たくさんチョコ貰えそうですね!」
「えっ!」
振られた話が自分に向いていたのでカカシは戸惑ってしまう。
「俺ですか?」
「そうですよー」
うんうんと頷き、イルカは話す。
「カカシ先生にチョコを渡そうとしている人がいるのを俺、知っていますよ」
自分のことなんて、どうでもいい。
今はイルカのことについて聞きたかった。
カカシは下忍を指導する上忍師の仕事をするために里に戻ってきた。
下忍の子供たちはアカデミーの教師をしているイルカの元生徒だった。
イルカの本来の仕事はアカデミーの教師で、受付の仕事は常任ではなく時々、兼任しているだけである。
カカシは立場上、子供たちのことでイルカと話すことが多く、時折、時間が合えば一緒に帰る仲にもなった。
最初に会ったとき、初対面のときからイルカといると何ともいえない気持ちになっていた。
イルカの一挙手一同が気に掛かり、イルカが笑えば胸の中があたたかくなるような。
この気持ちが何なのか、カカシには判断がついていなかった。
「あ、そういえば」
イルカが、ポンと手の平を叩く。
「カカシ先生、甘いもの苦手って仰っていましたね」
「ええ、まあ」
「じゃあ、チョコも苦手なんですか?」
「どちらかというと・・・」
カカシは甘いもの全般が苦手で好んで食べることはしない。
「そうですか」
イルカの残念そうな声がした。
「もしよかったら俺、カカシ先生にチョコをあげたいと思っていたんですが・・・」
「本当ですか?」
カカシの反応は早かった。
上忍の鋭い反射神経をいってもいい。
「イルカ先生からのチョコなら、ぜひ欲しいです!」
ゲンマがチョコレートを贈るのは愛の告白だと言っていた。
イルカからの愛の告白!
そのときになって初めてカカシは自分がイルカを、どう思っているのか。
何ともいえない気持ちが何なのか、はっきりと解った。
「そう仰るなら」
カカシの勢いに押されたイルカが、こくこくと頷いた。
「子供たちもお世話になっていますし、俺もカカシ先生とお知り合いになれて嬉しかったですし」
感謝の意をこめたチョコレートです、とイルカは言った。
「・・・・・・感謝」
がくっとカカシの肩がほんの僅か下がる。
「はい、いつもカカシ先生にはご迷惑やご面倒をお掛けしてますから」
「そんなことないですよ」
力なく言ってからカカシは気がついた。
自分からイルカにチョコレートをあげればいいじゃないか!
とても名案に思えた。
「イルカ先生!」
カカシは、ぎゅっとイルカの両手を自分の両手で包み込むように握り締めた。
突然のカカシの行動にイルカは目を、ぱちくりさせている。
「イルカ先生はチョコ好きですか?」
「はい、嫌いじゃないですけど」
「だったら俺がチョコを贈ったら受け取ってくれますか?」
カカシは真剣だ。
「カカシ先生が俺にチョコレートを?」
「そうです!」
「バレンタインに?」
「はい!」
「分かりました」
嬉しそうに言うイルカの顔には笑顔が浮かぶ。
「俺で良かったら、いただきます」
「本当ですか?」
「はい」
「イルカ先生!」
だが、次の瞬間、地獄の底に落とされた。
「今日も何人かチョコレートをくださった方がいて」
イルカが照れたように言う。
「この季節になると何でか、チョコレートを貰うんですよねえ」
不思議そうにしている。
「それも男性の方が多くて。俺も男なのになあ」
「・・・誰に貰ったんですか?」
「ええと」
誰それとイルカがあげる名前にゲンマの名前もあった。
イルカが肩から下げているカバンを上から叩く。
心なしか、いつもより膨らんでいた。
「食べるの楽しみです」なんて、にこーっと笑うイルカは子供みたいな顔で。
こんな顔をしてくれるなら思わず、チョコレートを渡してしまうだろう感じである。
「チョコレートの種類も様ざまで、色々いただけて嬉しいです」
この分では明後日の二月十四日にカカシがイルカにチョコレートを渡しても、その他大勢に紛れて終わってしまうだろう。
そうに違いない。
それはダメだ。
自分の気持ちが解った今、それでは満足できなかった。
「イルカ先生」
決意表明としてカカシは宣言した。
「バレンタイン、楽しみにしていてくださいね!」
「はい?」
「俺、頑張りますから!」
滅多に頑張らない自分が頑張ろうと気力を漲らせている。
愛の力はすごい、とカカシは後に思った。
そこに行き着くまでに幾多の試練はあったが、それは言うまでもない。
最初の試練は二月十四日。
カカシの目の前でイルカにチョコレートを渡す輩が老若男女問わず多く、イルカが受け取ったチョコレートの数がカカシの予想を超えて多いことに呆然としたのであった。
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